忠臣蔵

harimaya2013-12-12

♪ときは〜元禄15年〜浪曲好きだった亡父は
この季節になると広沢虎造を真似て唸っていた。
赤穂浪士47人が元禄15年12月14日深夜のこと
両国は松坂町にあった吉良屋敷に討ち入りをし
吉良上野介の首級を上げ主君・浅野内匠頭
仇討を果たした。この物語は誰もが知っている。
でも考えてみれば歴史というものは勝った側の
語り口と検証であり忠臣蔵もその例に漏れない。
後世に伝わる赤穂浪士の美談は数々あれども、殺された吉良側の家来たちのことは
一寸の同情も無いとは実に不公平だ。浪士たちは今の感覚で言えばテロリストであり
たとえ上野介が殺されても仕方ない因業爺であっても、その家来たちに何の罪も無く
妻や子もいるだろう。へそ曲がりと云われようが吉良の家来たちと妻子に合掌。