隠居の独り言(1233)

インターネットの進化発展はとどまるを知らない。その増力と増殖はウイルスのようで
世間の何もかもを食いつぶし、食うばかりか同化させてしまう魔力を持っているようだ。
言葉の変化も早く一昔前のインターネットはネットと略し、携帯電話もケータイと称して
持ち歩く電話機と思っている人は誰もいない。パソコンとケータイが合体してスマホ
タブレットになり利便性と小型化は更に進んでいくだろう。でも考えれば小さな物体に
一人の人間の全情報がプールされている、とんでもないシロモノだ。今の殆どの人が
こんな便利で楽しいものはないとケータイは絶対必需品で、中にはケータイ無ければ
生きていけないと嵌ったケータイ信者もいる。しかしケータイを紛失すれば過去現在
未来に至る全ての情報が知られかねないし、全財産も失しなってしまう危険性も孕む。
ケータイは神様でない。夢中が過ぎて何もかも貢物のように信じ詰め込むことだけは
やめたい。そこへくると自分の年代、戦前生まれの多くはインターネット世代から外れ
PCもケータイも縁がない。でも、ひがんでいうわけでないが同輩として言いたいのは
人間の評価は二つの条件で考える。心の貧しい人間、豊かな人間の二通りしかない。
人は万能である必要はない。ネットができなくても誠実に生きた人生の体験は宝物だ。
戦争を知っている自分たちの世代は全て極貧にさらされたが家族みんなで助け合い
近隣の人も親切で家に鍵を掛けたこともなかった。戦争は決してよくないが、けれども
苦しい体験は人間的には豊かに育ったと思う。チャットやフェイスブックを知らなくても
敬語も謙譲語もきちんと使える。現代の若者の流行語のなんと言葉の貧弱なことよ!
訳も分からず言葉を略し、マンガが横行し、ケータイでの絵文字だらけの読み書きは
美しい日本語が泣いている。でも同窓の仲間には多少の時代遅れを感じることもある。
先日の同窓忘年会で「熱血オヤジバトル」http://www.nhk.or.jp/oyaji/の話題をしても
「いいね、応援しているよ」と激励されたがITに縁のない旧友に投票は期待できない。
ネットをする、しないの分水嶺は60代後半なのかな。70代のバンドではネット投票の
戦いとなると若い人たちに敵わない。今回はメンバーが手分けしてあらゆる人たちに
お願いをして多くの方のご厚意に甘えたが皆さま方は快く投票を引き受けて下さって
メンバー一同感謝の念に堪えなく改めてお礼を申し述べたい。ありがとうございます。