隠居の独り言(1234)

明日はクリスマスイブ、本物のクリスチャンも、にわかクリスチャンも華やぐ心は同じで
教会では祈りを捧げ賛美歌を歌い、街はイルミネーションに輝き年末の風物詩になる。
平和な家庭にお父さんがクリスマスケーキを持ち帰り団欒の歓声が聴こえてきそうだ。
しかし老いた、にわかクリスチャンは、テレビに映る街の風景と、幼き日の回想が蘇る。
幼い頃、母に連れられた教会でイブに賛美歌を歌った。♪諸人こぞりて迎えまつれ・・
あのとき清い心のクリスチャンだった。今も賛美歌を聴くごとに心が穏やかになるのは
幼い頃の素地のおかげと思う。けれど時の流れは、否応なく汚れた煩悩にまみれゆく。
汚れた老人も年末に年の数を一つ失っていく。暦での年齢は確実に増えていくのは
仕方ないが、若くても実年齢より老いている人もいる。反面、暦では高年齢であっても
心身ともにしっかりとした人がいるのも現実の一つだ。老いる一つの特徴に気持ちの
変化が現れる。老人の特徴に頑固になって自分勝手になる人が多いが、周囲の人に
どれだけ気配りが出来るかが老化の目安だろう。この世は大勢の人が暮らしていて、
それぞれの事情で生きているわけだから、相手のことを充分意識し互いを譲りあって
合わせなければ社会が成り立たない。たとえ老人でも勝手な振る舞いは許されない。
道路の真ん中で通行する人も気をかけず、立ち止まって老人たちは立ち話をしている。
レストランの中でも老人たちは周りの人にお構いなしで大きな声で自分の話に夢中だ。
耳が遠くなったのは気の毒だが人への気遣いを忘れないで欲しい。老いると周囲に
迷惑を掛けているという意識が欠け、状況や変化に備えることができなくなってしまう。
それが老化の目安だろう。長年連れ添った夫婦も、老化は互いの「有り難さ」を忘れる。
ご飯をつくってくれて当たり前、洗濯をしてくれて当たり前、掃除をしてくれて当たり前、
お金を稼いでくれて当たり前、休日にはどこかへ連れていってくれて当たり前になる。
ありがとうの気持ちはあっても声に出さなければ相手に伝わらない。阿吽の呼吸とか
以心伝心とかは通用しない。寡黙では心が通わないし、口にしなければ虚しいものだ。
長年共に暮らした夫婦でも所詮は他人であり互いを助け合わなければ老後は惨めだ。
そして言えるのは命と人生は神さまからの借り物であり、だからこそきちんとお返しを
しなければならない。一年の終わりに思うのは今年はこれで過去になり新しい年には
心も新しくしなければ限られた未来のあり方が描けない。今日は天皇陛下の誕生日。
陛下は80歳の傘寿を迎えられた。有難いことに自分も陛下と同い年の80歳であり
陛下と同じ歳月と世代を過ごせたことを光栄に思い、謹んで陛下の傘寿を寿ぎたい。