隠居の独り言(1256)

先だっての「オヤジバトル」の出来事、80歳の素人ベースマンが大劇場のステージで
3分間に集中できたのは良かった。演奏の結果はともかくとして観衆の拍手を耳にして
やっと終えたという実感は老ベーシストの安堵の瞬間だろう。過去のバトル17回目で
80歳は最高年齢者というが、インタビューの時に司会の松尾貴史が「健康のために
何かやっていますか?」「ハイ毎朝四股を踏んでいます」「それではステージでお願い
します・・」調子者は恥も外聞もなくステージで四股を踏んだ。これが年寄りならではで
たとえヤラセといえ、若い人は理性的な立場があってこんなピエロな演出はできない。
今や長寿世界一。だいたい長生きするようになったからこんな能天気な老人が増えた。
「命長ければ恥じ多し」と荘子は言う。健康自慢の老人もいるがそんな人にかぎって
目が霞んだり、入れ歯を入れたり、耳が遠くなったり、人の名前がすぐに出てこない。
人から、いくつになっても矍鑠としておられますなぁ、おだてられてご当人がその気に
なっているのも老化の証拠といえる。年寄りの健康は体だけでない。人への心遣いや
自分では気付いていない心の柔らかさが欠けていく。だから老人の頑固者が増える。
恥を掻いても気づかない。ウツや痴呆の精神的な病気も含めて頭は徐々に劣化する。
最近では「予防医学」というのが盛んで様々な健康法があるが何しても齢に勝てない。
スタミナは衰えて、記憶力は確実に遠くなっていく。機械だって何十年も使えばどこか
おかしくなる。80年の長きに亘り使い続ければどこにも故障が無いなんてありえない。
年に一度は健康診断を受けているが検査の標準や平均など、あくまで目安であって
数値はアテにならない。ということは「完全な健康」というのは世の中には存在しない。
そもそも「健康」とは何を基準にしているのだろう。老いという実感は身をもって知るが、
だから、何に関しても「あきらめ」という選択肢を持たなくてはならない。過去の失敗を
くよくよと引きずるのは自らを惨めにするだけだ。嬉しかったことも、悲しかったことも、
人生の全て自己責任であり時間を巻き戻すことはできない。ただ自分は、何をしても
中途半端でうまくないが「あきらめ」だけはいいと思っている。与えられた時間は確実に
減っていくが、これは仕方ない。80歳の時間も今月で終わる。