隠居の独り言(1262)

卒業シーズン真っ盛りだ。校舎から「蛍の光」が聞こえてきそうで、この時期になると
自分の卒業が思い浮かぶ。自分の最終学歴は兵庫県姫路市立飾磨中部中学校で
高等小学校2年生の時に中学に編入されたので実際1年少々しか在籍していない。
でも最後の1年少々が青春の最も充実した季節だった。教科書は、ろくになかったが
その分、本を読み漁った。藤村、漱石、鴎外、啄木に嵌った文学少年の端くれだった。
生まれて初めて恋をし、なかなか逢えそうで逢えない恋をつのらせる切なさを少年は
惨めなほどに知った。心もがいて時を惜しんで恋文を書き、バイロンやハイネの詩を
諳んじるほど読んだ。人生を懐古するとき走馬灯の回り始めは中学時代がスタートだ。
自慢は恥ずべきだが卒業式で卒業生を代表して答辞を読んだ。答辞の文章は父との
合作だが父は前日に巻き紙に文を筆で書き「二十四年弥生吉日・横山正樹」と締めた。
いつも厳しくあまり好きになれなかった父だったが、その時初めて父の優しさを知った。
中学の思い出は初恋の他にも、同級生との喧嘩も日常茶飯事で生傷が絶えなかった。
後年に、喧嘩の相手と再会したとき当時を笑って懐かしんだが昨年、彼のご家族から
喪中はがきが送られてきてショックだった。時の流れの無常を改めて感じさせられた。
学歴の初めは昭和14年尋常小学校で「ハナ、ハト、マメ、マス、ミノカサ、カラカサ」が
最初のページだった。マスは物を量る升のことで、ミノカサは箕笠で、畑仕事などで
夏の暑さや雨を凌ぎ、カラカサは蛇の目で雨日の必需品だった。学校に通う格好は
着物姿に下駄を履き下着は越中褌だった。ちなみに褌からパンツに履き替えたのは
上京し小僧になってからだが、今の子供たちにはこれらのものを見たこともないだろう。
戦争が始まった三年生のとき尋常小学校国民学校と名を改められた。最初の頁は
「サイタサイタサクラガサイタ。ススメススメヘイタイススメ」で軍国主義が色濃くなった。
第二次世界大戦も緒戦の頃は日本軍も強かったが一年も経つと物量の圧倒的差の
アメリカ軍に押され太平洋の日本軍は敗色濃く子供たちは学校どころではなくなった。
勉強よりも勤労奉仕に駆り出され、低学年は畑仕事に、高学年は軍需工場で働いた。
学校の校庭は畑に化し防空壕が各所に掘られ空襲警報が鳴る度に穴の中に逃げた。
そして戦争に負けた。日本が絶対勝つと信じた軍国少年は悔し涙が止まらなかった。
遠い昔の卒業式も今年の卒業式も新鮮な巣立ちに変わりはない。将来は君達にある。