隠居の独り言(1263)

暑さ寒さも彼岸まで、というが、ここ数日の気温の変化は、春の訪れを肌で実感する。
とくに夜明けの空の表情は冬と違ってとても豊かに映る。まず暁(あかつき)の紅色に
始まり、東雲(しののめ)の東の空がわずかに明るくなって、しだいに明けゆく空には
曙(あけぼの)が朝ボラケを演出して朝(あした)がやってくる。朝日の一日の始まりだ。
1月は往ぬる、2月は逃げる、3月は去る、と昔の人は言う。日本の3月は年度末で
別れと出会いの人生の岐路の時だ。卒業、進学、就職、転職等それぞれ新年度から
人生劇場の幕が開き芝居を演じなくてはならない。どんな役柄にも従うのは当然だが
特に男は汗水流して働いて、あげく結婚をすれば給料をまるごと妻に取り上げられて
奴隷的生活が待っている。今年の春闘アベノミクスの給料UPで嬉しいはずなのに
妻は当然のように受け取り「家族のため」という名目で女友達と温泉旅行へ出かける。
子供が「海外旅行へ行きたい」といえば「行ってこい」とここが親父の貫禄の見せ場と
気前よくして父親は場末の安い居酒屋で一杯の焼酎と一枚のスルメで幸福感を得る。
これは安サラリーマンでも大企業の重役だろうがみな同じでレベルに合わせて妻子に
搾取される一生は押し並べて変わらない。男の甲斐性とは妻子達を満足させるのが
本望と思っている御仁が多いが少し錯覚がある。それは今まで続けた奉仕的精神の
いくばくかを感謝している妻は殆どいないと思っていい。老後になって、夫が見返りを
期待するのは幻想に過ぎないし、子に望むのも不可能だ。妻が夫に感謝するときは
生命保険をいっぱい掛けて死ねば、墓前で「いいお父さんだったわねぇ・・」と心から
手を合わせてくれる。死んでから言われても嬉しくもないがそれには生前から妻とは
別の楽しみを持つべきだ。自分はラテン音楽で♪ベサメムーチョと歌っても妻のため
歌っているわけじゃない。所詮、妻といっても人が違えば考え方も違い、話や意見を
合わせるのに苦労は絶えない。男の「人生劇場」は実に虚しいものだ。オペラだって
悲劇の感動で終わるのは誰もが有する無常観だろう。こうして男は生き、老いていく。
「面白うて やがて哀しき ピエロかな」 男の人生は道化師だ。