隠居の独り言(1273)

NHK大河ドラマ軍師官兵衛の物語の現在は播磨地方(今の兵庫県)が舞台なので
姫路出身の自分としては興味津々このうえない。しばらく故郷姫路へ行っていないが
現在の姫路市は「官兵衛ブーム」で街のいたるところに官兵衛プロジェクトで賑わって
いるという。さすが大河ドラマの効果だ。ドラマ15-17回にかけての時代の播磨では
東から天下布武を目指して勢いづく織田信長江口洋介)の軍勢が張り出し、西から
中国地方を牛耳る毛利の軍勢の狭間にあって播磨一帯の諸大名は織田か毛利かの
二者択一に迫られていた。日和見主義は許されない。世は戦国時代で、どちら方に
付くかによって生死を賭けた熾烈な争いは諸大名の情勢判断と決断に委ねられたが
運に頼るしかなかったろう。播州最大の豪族は東播磨で25万石の版図を持っていた
別所長治(入江甚儀)だったが、最初は織田方に味方したのに古くからの名門意識が
強すぎて新興勢力など笑止千万と織田に反旗を翻し、同じ年には織田の家来だった
摂津の荒木村重田中哲司)も信長に反抗して播磨は混沌としてきた。黒田官兵衛
岡田准一)の主筋の小寺政職片岡鶴太郎)も毛利方から懐柔されて寝返っていく。
このあたりの織田、毛利の戦術的駆け引き、それぞれの人間模様、勝負の勘所など
天正6年(1578)前後の播磨地方の情勢は最も興味深く自分もテレビに釘付けになる。
やがて官兵衛は毛利方に寝返った荒木村重を翻心させるため村重の有岡城を訪れ
説得するが逆に囚われの身となって環境の悪い牢獄に一年余りも幽閉されてしまう。
この仕打ちは前もって小寺から村重に伝えてあったものだが官兵衛に知る由もない。
牢獄は身動きも出来ないほどの狭いうえに日陰の場所であったので足は完全に萎え
皮膚は細菌に犯され食物の粗末で痩せ衰えたが、それでも生きる力の執念があった。
有岡城にいったきり連絡の途絶えた官兵衛に対し織田信長は村重に寝返ったものと
官兵衛の息子で人質の松寿丸(松坂桃季)を処刑するように羽柴秀吉竹中直人)に
命じる。しかし官兵衛と同じ軍師の竹中半兵衛谷原章介)が密かに松寿丸を助ける。
歴史小説の大半は作家のフィクションといわれるが信長、秀吉、半兵衛、官兵衛など
この時期に携わった人々の心の動きの模様の描写が脚本家の腕の見せどころだろう。
あの日、自分の祖先は播磨のどこで何をしていたか?「軍師官兵衛」を楽しんでいる。