隠居の独り言(1279)

五月に入って、この四月から高知大学・医学部に入学した孫を訪ねて高知を訪れた。
これから大学6年間の生活を独り暮しの苦労も多いがこれも勉強で頑張って欲しい。
高知の海の雄大さは全国でも屈指のものだろう。太平洋の黒潮は沖縄の東沖を経て
九州南部を洗い、高知全土を洗い、やがて熊野地方から太平洋の沖へと流れていく。
自分の想像だが古代縄文人黒潮に乗って南から日本列島にやってきたに違いない。
縄文人が日本列島に住みつき、やがて弥生人が半島からやってくる2500年前まで
同一人種の縄文人は豊かで平和な暮らしをしていたものと想像できる。中でも土佐に
上陸した人たちは四国山脈と太平洋に囲まれた豊穣な土地で日本の習慣と隔絶され
独特な文化が育まれたことだろう。それは約500年前の戦国時代に日本共通文化に
触れるまで土佐は日本の中の異文化国家というべきだった。土地の人の話によると
僅か300年前まで日本中どこにでもいる鯉も鯰もいなかったというから土佐の固有な
土地柄が偲ばれる。ついでながら高知の人は酒呑みが多いと聞く。国税庁の統計も
酒一人あたりの消費量が全国一とかで、酔っぱらいの刃傷沙汰も日本一の不名誉だ。
その証しにどこの土産店でも地酒の陳列がずらり並んで下戸は目を丸くするばかりだ。
でも隔絶の地は悪いことばかりでない。今では日本中どこでも似たような街の風景で
各地に残っていた多様性を無くしたが高知では大型店舗もなく昔ながらの商店街が
発展して親切な店員さんや街々の色彩も落ち着いて昭和の昔を彷彿させて心が和む。
街の中央部には路面電車が走っている。乗客は後部入口から乗り整理券を手にして
前方から降りるがワンマンカーなので運転手さんが一人ひとりに挨拶して礼を述べる。
これがまた何とも情感の通った風景で一期一会の情緒の素晴らしさを高知の市電で
思い知る。高知の中心地は播磨屋橋近辺だが、その昔ペギー葉山の「よさこい節」で
♪坊さん、かんざし買うを見た・・の恋物語も今は小さく赤い橋が架かっているだけだ。
食では高知名物「鰹のたたき」が絶品で、入ったレストランでは目の前で新鮮な鰹が
わら焼きの豪快な炎が上がる迫力を見て食べたが、同じ鰹のさしみも東京と全然違う。
その他、四万十川で獲れた川エビや青のり等々の土佐の郷土料理に舌鼓を打った。
「まっこと よう来たねぇ また ゆっくり 見とうぜ」土佐弁のお別れで高知を後にした。
山、海、空の自然豊かな日本の原風景が残る高知はレトロの味わいだ。また行こう!