隠居の独り言(1284)

幼い頃に自然に入ってくる歌というのは、自分の子供の頃と今では天と地の差だろう。
自分が物心ついたときにオヤジがしょっちゅう歌っていたのに「小さな喫茶店」がある。
オヤジは音楽が好きで軍隊でラッパ手と聞いていたので自分の音楽好きは父譲りか。
♪あれは去年のことだった、星の綺麗な夜だった・・」当時はテレビやラジオなどもなく
蓄音機も貴重な存在だったから一般家庭に外国の歌や歌謡曲は遠いところにあった。
それでも子供達はどこから仕入れてきたか学校の尋常唱歌より巷の歌を歌っていた。
軍歌にもいいのがあった「戦友」という歌♪ここはお国を何百里、離れて遠き満州の・
戦友にはストーリーがある。二人の仲良い兵の物語で一人が戦闘中に負傷し戦列を
離れるが「軍律きびしきなかなれど」と二律背反の状況を嘆きつつ、それをふりきって
「これが見捨てて置かりょうか」と惻隠の情を優先する。その歌詞が何とも胸がつまる。
昭和前期にディックミネという歌手がいた。渋い歌声と洒落た歌は女に凄くもてたろう。
「ある雨の午後」の歌がある。♪雨が降ってたしとしとと、ある日の午後のことだった・
淡い失恋のタンゴだったが、「一杯のコーヒーから」もよかった。♪一杯のコーヒーから
夢の花咲くこともある/街のテラスの夕暮れに/二人の胸の灯が/ちらりほらりとつき
ました・」当時の恋人たちは喫茶店でコーヒーと流れる歌で愛を賛歌して幸せを感じた。
昔を懐古し昔が良かったという気持は持ち合わせていないが流行歌に関して言えば
歌詞とメロディーが仲の良い夫婦のように寄り添う感じは今の歌にない感傷があった。
戦後間もなく近江俊郎の「山小屋の灯」も愛や恋が気になり始めた手頃な感傷だった。
♪黄昏の灯は、ほのかに点りて・思い出の窓に寄り、君を偲べば・寂しさに君呼べど・
いつも口ずさんでいた。歌うとますます感傷的になって、鏡の中に憂いた自分がいた。
近江俊郎といえば少し大人じみたときに「湯の町エレジー」が大ヒットした。イントロの
ギターがとても素晴らしく自分がギターに魅せられた初めての曲と言っていいだろう。
♪風の便りに聞く君は、いでゆの町の人の妻、ああ相見ても、晴れて語れぬこの思い・
想像の感覚は遠くへ行った人の妻であり後ろめいた禁断の恋へのときめきであった。
親に隠れて禁断の本を読んでから数年が過ぎていた。老年になれば時の経つのは
遅々とするが十代から二十代への時間の速さと中身の濃さは人生の華の真っ最中だ。
それから何年かが過ぎて森田公一作曲の「青春時代」で♪青春時代の〜真ん中は〜
いつも迷っているばかり〜」というフレーズで歌っていたがその時の自分は俗世界に
どっぷりと浸かっていた。何の変哲もない青春時代は無駄に過ぎていった。