隠居の独り言(1289)

一昨日の読売新聞の「人生相談」に載っていた。題目は「怒ると無言攻撃をする夫」で
パートで働く40代の半ばの主婦。夫は私に対して気に入らないことがあると何ヶ月も
だまり続け無言の攻撃をしてきます。何を怒っているのか尋ねても一切答えません・・
梅雨入り前の天気は素晴らしいが同じ天気でも「お天気屋」は薬も無く、神も救えない。
「お天気屋」は法律違反でないが、精神医学上も正体が掴めていないのでタチが悪い。
精神医学で言う躁鬱の気質とは違ったものらしく、むしろ表面的には社交的で人々を
わけへだてなく接しているが好意を抱いている人と、そうでない人を狡く見分けている。
人間の性格には二通りあって自分の意見を強い意志で通す人、それに従っている人。
従う人は自分の主張もできないまま相手の沈黙を受け入れ時の経過を待つしかない。
自分の周辺にも少なからずいるが救われないのはご当人のそのときの感情の起伏で
人に迷惑をかけていることの自覚が無く付き合わされる立場は、たまったものでない。
時々の「お天気」で相手がどれほど狼狽し傷つき悲しんでいるのか知ったことでない。
人間の奥底には悪魔が住んでいて「敵」が設けられると心の形相が一変するのだろう。
しかも年齢が重ねるほどに、お天気の変り目と回数が多くなっていくのが顕著になる。
ある日、あるとき何の前触れもなく玄関のシャッターが降りてしまう。普通の商店なら
理由の張り紙があるが「お天気屋」のシャッターは理由もなく「自分の胸に聞いたら」と
仕掛けられたほうは考えてしまう。自分がこの人に対しどんな罪を犯したのだろうか。
当方がワケをあれこれ内省し、そのさしたる理由が分らないときは何ともやりきれない。
このストレスは人が人に対して、お天気である権利がどこにあるのかと叫びたくもなる。
「お天気屋」なるものは、どんな地位の高い人でも、どんな機知に富む利発な人でも、
どんな才色兼備な美人でも、どんな立派な常識人でも、心の問題だから始末が悪い。
発散される方は迷惑千万だが反論できない優柔不断の性格に自らを慰めるしかない。
歳を重ねれば人情は深く濃くなるはずだが、反面に不人情になる性格もあるのだろう。
でも心のどこかで「お天気屋」を許している。反面教師に知恵を知った気がするからだ。
ギリシャの哲学者・ソクラテスも「お天気屋」の奥方と友人には随分と悩まされたという。
ソクラテスは言う「汝が良妻を持てば幸福者である。汝が悪妻を持てば哲学者になる」
自分に置き換えて・・哲学者になる才もなく今日も悩んでいる。