隠居の独り言(1294)

戦後70年過ぎ現行憲法9条をそのまま真に信じている人の多さに驚きを禁じえない。
明治以来あれほど自由闊達だった日本人の思考力が敗戦とともに止まってしまった。
憲法9条の条文は「1.日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し
国権の発動たる戦争と武力による威嚇又は武力の行使は国際紛争を解決する手段
として永久にこれを放棄する。2.前項の目的を達するため陸海空軍その他の戦力は
これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない」文面はおとぎばなしのように美しい。
しかし現実は陸海空軍の自衛隊があり、とりわけ安全保障の問題で中国や北朝鮮
軍事圧力が強まっている現状からみれば9条は絵空事的条文としか言いようがない。
今の憲法は戦争の余韻残る終戦直後に日本が二度と立ち上がれないようにGHQ
作った憲法だが時代にそぐわず押し付けた米国も憲法を悔いている。戦後5年目で
朝鮮戦争が勃発したがアメリカは日本に自衛隊の前身である警察予備隊を組織させ
後に自衛隊として日米相互防衛援助協定を結んでいるのは憲法9条のなしくずしだ。
世の中が止まっていれば結構だが中国は力を百倍も付け北朝鮮とともに日本に向け
ミサイルの照準を定めている。世界で思考が止まっているのは日本の護憲派だけで
それは日本の安全保証から言えば「絶対的平和主義」か「現実主義」の二つしかない。
「絶対的平和主義」とは例えばスイスの中立主義でそのためには国民皆兵の国家に
ならなくてはならない。スイスは中立を維持するため国際法上の義務を履行している。
義務を怠れば中立違反とされ他国の攻撃を受けることになる。先の大戦でも空軍は
上空を通過するドイツ機も連合機でも見境なく果敢に攻撃を加えて中立を自ら守った。
安倍首相の言う積極的平和主義は国際法上では何の法律も無いし願望に過ぎない。
まして憲法9条があるから平和でいられるなんて、他国から見れば滑稽な空想だろう。
第二次世界大戦で日本は連合軍と僅か4年戦っただけだが戦争が終わって70年の
歳月が過ぎても未だ謝罪や賠償を要求してくる国が存在する。日本にも責任がある。
日米安保があるのならもっと前に集団自衛権を行使し、アメリカのイラクやアフガンの
戦闘に一緒に空爆にでも参加すればよかった。戦後ドイツのNATO軍一員のように・
それなら今のように中国や韓国に舐められることはなかった。憲法改正は無論のこと
ここは早急に日米安保を軸にして「現実主義」で事を運ばないと取り返しがつかない。
戦争は既に過去であり相手にとやかく言われる筋合いはない。情勢は待ったなしだ。
自民党もだらしない。衆議院の3分の2近くの議員数を擁しながら集団的自衛権
公明が消極的なら、いっそ公明と袂を分ち自民と共鳴する他党と手を組めばいい。