隠居の独り言(1302)

蒸し暑い日が続く。最近物忘れがひどいと前に述べたが、暑さで記憶力も低下する。
自分の子供の頃の教育は全てが暗誦主義で、訳も分からず何かと暗誦させられた。
幼い頃のカルタ遊びに始まり「犬も歩けば棒に当たる」幼児には意味は分からないが
でしゃばると思わぬ災難にあう、という戒めを大人になって理解し生きる肥やしとなる。
カルタに始まり百人一首教育勅語軍人勅諭、歴代天皇の名前など戦前、戦中の
教育を受けた人なら、これらのものは暗誦の経験があると思う。例えば歴代天皇なら
「ジンムスイゼイアンネイイトクコウショウコウアンコウレイコウゲンカイカ・」で始まり
「メイジタイショウショウワキンジョウ」で終わる125代に亘る歴代天皇の名を順番に
早口で朗々と一気に言い切るのが良い例とされた。しかも暗誦するのは教育ではなく
言葉遊びの一種で何とかゴッコのように覚えてみんなで競争した。日本の長い道程を
子供たちは遊びながら覚えるという、考えればこんな知的な遊びをした時代であった。
教育勅語も小学三年で教わるが子供たちは既に覚えていた。なぜなら毎朝の朝礼で
校長先生が壇上で恭しく黒い漆の箱から教育勅語が書かれた巻紙を出して読まれた。
朝礼は全学年だから一年生の時から毎朝聞かされれば自然に頭の中に仕舞われる。
「チンオモウニワガコウソコウソウクニヲハジムルコトコウエンニトクヲタツルコト・・」と、
教育勅語は12の徳目が書かれた漢文の読み下ろしで子供には難しすぎて解せない。
物事全てに秩序があって、上は下を慈しみ、下は上を敬慕し、国民は愛国心に燃え、
祖国を誇りに思い、子は親に孝行を尽くし、親は子を慈しみ、兄弟仲良く、友を信じる。
子供はお経の音律のように覚えたが意味を知ったのは大人になってからのことだった。
テレビもラジオもなかった時代、新聞も僅か4面の薄紙だった。情報源といえば父が
働き先から持ってきた世間話だけが家族の世界観だった。子供にとって夜の遊びは
カルタ類や言葉遊びであり、そんな中で暗記した格言や歴史は大人になって得られる。
こんなのを覚えて何になる。何の得にもならない。今の人ならこういうだろう。本来なら
覚えなくてもいいことだが、暗記力が向上したことは紛れなく自分の宝物になっている。
今の子供の遊びと比較はできないがゲームやラインは何の知識も徳目も得られない。
経験をいえば子供教育にある程度の暗記という強制も必要だ。柔らかい子供の頭の
覚えたことは必ず大人になって役立ち、変化する昨今こそ教育の見直しが必要だろう。
歳とともに記憶力も落ちる。数年前まで丸暗記できていたものも今ではおぼつかない。
今や神武綏靖(ジンムスイゼイ)遊びの半分も言えなくなった。若かった頭が懐かしい。