隠居の独り言(1304)

毎年、梅雨時になると終戦の年、福島県白河に住んだ日々思う。生活も厳しかったが
家のそばに小さな川が流れていて夜になると無数の蛍の光の演舞を見たことが蘇る。
毎晩の灯火管制で家に電気を就けることは許されなかったが、その分、部屋に入った
蛍がひときわ美しく光っていた。家族たちにとっても戦時最中の荒れた心をどれほど
癒してくれたか今更ながら蛍に感謝したい。人間は戦争なんて馬鹿な事をしていたが
蛍にとっては恋の季節で、オスがメスにプロポーズの美しい光のプレゼントをしていた。
当時は自然いっぱいで蛍の楽園だったが、皮肉にも人間が戦争をしている時であって
人間が平和になったら川が汚れ、蛍はその影響で今では絶滅危惧種なのは可哀想だ。
あれからウン十年、熟年になって艶っぽい小唄が好きになった頃、初めて口ずさんだ
都々逸は「恋し、恋しと鳴く蝉よりも鳴かぬ蛍が身を焦がす」だった。蝉は好きよ!と
泣き叫ぶが、蛍は恋しい気持ちを胸に秘め奥ゆかしく灯で訴える。確かに蛍は寡黙で
身を焦がす様は乙女の純情だ。蝉がラテン男の情熱なら蛍は日本女性の優雅だろう。
もっとも最近は日本女性の奥ゆかしさも無くなったし、男性の情感も粗野になっている。
艶っぽい都々逸もう一句「羽織着せかけ行き先尋ね すねてタンスを背(せな)で閉め
ほんにあなたは罪な人」女に逢いに行くらしい旦那のためにタンスから着物を出して
着せかけて、さりげなく行き先を聞いてすねている。なんとも艶っぽい人情劇がいい。
今はギターを趣味としているが、五十代で仕事も子育ても落ち着いた頃、何か趣味と
最初は小唄と三味を始めたく、銀座のヤマハ楽器へ三味線を買いに行ったら、なんと
一本30万円以上、階を違えればギターの3万円があった。楽器やお師匠さんに習う
これからの経済面を考えればギターでいいではないか。自分の優柔不断が情けない。
そんないい加減な気持ちで始めたギターも今はすっかり嵌っている。クラシックに始め
今ではラテン音楽のメロディーとリズムに魅せられ弾き語りもラテン一本になっている。
小唄の歌詞もラテンの歌詞も恋の歌には変わりなく最も人間らしい純愛といえそうだ。
色とも艶ともすっかり無縁になってしまった自分だが、老いても脳だけが恋を忘れない。
歳を重ねても「恋の歌」を歌えば、心ときめき気持ちに張りが生まれホルモンの分泌も
活発になるのは間違いない。健康で粋に長生きする秘訣は「恋の歌」かも知れない。