隠居の独り言(1347)

今日から12月。師走。年の瀬。なにも12月だからって時間が短くなったわけでない。
一年365日。12ヶ月。そのうちの12等分の1なのに、何故か気持ちばかりが忙しい。
それなのに今年は衆院選という余計なものまで飛び込んできた。候補者の気持ちは
分かるが街中で大声で名前を連呼するのは止めてほしい。名前だけで投票する人は
殆どいないだろう。分かっていても叫ぶのは選挙の虫が為せる哀しいサガに違いない。
総選挙とは全然関係なくても、地球の誕生以来、毎年、毎月、毎日と時間は流れゆく。
年末に入ると報道機関は「今年の十大ニュース」を発表するがこれも師走の歳時記だ。
東京の歳時記も忙しい。鳳酉の市から、浅草寺の煤払い、泉岳寺と吉良邸の義士祭、
世田谷のぼろ市、浅草の羽子板市、西新井大師の納、クリスマス、除夜の鐘まで続く。
一年が過ぎたからって解るのは、今現在生きているということ。年月日時の区切りを
律儀な人間が決めたが、時は確実に過ぎ、人は確実に老いる。悠久の宇宙の時間は
止まらないが人生には終末が待っている。いつの日か草葉の陰に身を寄せる運命だ。
けれど円周率が割り切れないように人生も割り切れないから面白い。何もかも未来が
分かってしまうのも味気ない。それでも、ここまで来ると有限の時間が縮む実感が伴う。
有限だから来年の年の瀬を迎えられる保証はない。だから今年2014年も貴重だった。
歳月は取り戻すことが出来ないが、今は今年も無事生きてこられたことに感謝したい。
2014年、「今年は良い年だった」という人と「今年はひどかった」という人に分けられる。
自分には晩年での節目の年だった。NHK出演のサプライズ、孫の国立大医学部合格、
婿殿の昇進。反面悲しかった事、悔しかった事、近年にない喜怒哀楽濃い一年だった。
今年の自己決算書は、黒字も赤字も、お腹一杯食べたので良い一年と申告をしたい。
これからは、進歩よりも培われたものを大切に保つのが晩年に課せられた勤めと思う。
先程まで、好きなギター弾き語りを楽しんだ。そして今はブログの文章をまとめている。
時というものに翻弄されず、今この瞬間に乾杯したい。生きる感謝はしてもしきれない。
今は八十路を歩んでいるが独立した頃、きりきり骨身惜しまず働いた自分が懐かしい。
過去は変更できないが今まで気付かなかった事、やがてくる終末ソフトランディングの
対処を考える時期が来ている。人さまがなんと評価しようが自分の人生は自分のもの、
自分が納得できればこれ以上の幸せはない。今年2014年もあと一ヶ月。いつの日か
紅葉の散る晩秋に終わりたいと願う。「余生とは かく美しき 冬紅葉」 高木晴子