隠居の独り言(1362)

最近とみに年齢問わず美人が少なくなったと感じている。美人といっても外見じゃない。
この項は自分の偏見で書いている。美人観について人それぞれ判定基準の違うのは
当たり前だが、更に自分が生きた昭和から平成に至る時代を経て女性観も結婚観も
変わる。昭和の頃の結婚は仲人が取り持つ縁が大半で恋愛は変にふしだらとされた。
理想の新婦は、楚々として可憐で夫に尽くす、ひたむきな性格の女性が模範的とされ
モノいう女は敬遠された。でも戦後になってアメリカンナイズは一挙に恋愛観が変わり
束縛された女性が感情を顕に謳歌する時代になった。現代では男女均等雇用法が
施行され人としての自己を持ちしっかりと見識があり仕事ができる女性が求められる。
女性の地位が高くなったのは歓迎だが、だからって女らしさを忘れてはならないと思う。
女らしさは特有の優しさに尽きるが男にも男の強靭な精神がないと男でない。自分は
お見合い結婚だが、当時の理想の男性像は三高(学歴、収入、身長)の資格であった。
当然に自分は失格。お見合い7回目でやっと纏まった。勝敗は7戦0勝6敗1引き分け。
何もなかった無いものづくしの風来坊に嫁いでくれた山の神に今でも頭が上がらない。
男と女の馴れ初めは見た目で決まるのは今も昔も変わらない。そのうえ頭脳明晰で
言葉も理路整然と話す女性は理想的だが、そういう女性にかぎって自分の物差しで
人を判断し、下には上目線で上には下目線で人に対する「そのときだけ美人」が多い。
今のストーカー事件も別れの時、女は一瞥もなく別れられるが男は未練たっぷりで
「オレはダメだ」と独り涙する気持ちが事を起こしてしまう。今の男は根気根性が無い。
男らしさ、女らしさが先の大戦を境目に変わってしまったのは戦争体験者には分かる。
愛読する川口松太郎藤沢周平の時代小説に登場する貧しい市井に暮らす女性の
ひたむきな忍耐と包むような人情味が無くなった。義理人情が廃れ女性のささくれる
感情が多くなったのも悲しい現実だ。昔あった女性のいじらしい仕草にノスタルジー
感じるのは自分だけでないと思う。どの時代でも親は子に気遣うし男女は相惹かれる。
人は景気の良い隣人に嫉妬するし、無理解な知人に怒りを覚えるのが普遍な人情だ。
テレビドラマ「おしん」で、おしんが大根めしを食べていたので同情が集まったというが、
自分が思うに大根めしを食べられたら上等じゃないかと思う。おしんの苦労は平成の
若者は無理解だが昔は普通だった。といって当時や戦後が惨めだったとは思わない。
人を憎むこともせず、食べ物に好き嫌い無いのも、飢餓体験のおかげと感謝している。
買い出しに行ったとき、一軒の農家の若奥さまが少年に暖かい握り飯を握ってくれた。
遥か遠い昔のことだが若奥さまの心のこもった握り飯は八十路になった今も忘れない。
心の哀歓、機微きめ細かい持ち主の女性の優しさに、少年はいじらしい憧れを抱いた。
女の、女らしい点景は人情味溢れる知性の美しさだが、女らしい女は、もう見えない。