隠居の独り言(1363)

早いもので今年も2月に入った。あと2ヶ月少々で82歳を迎えることになっている。
通称イスラム国で日本人を人質にして殺害されたというニュースに気持ちが暗くなる。
戦前なら報復戦争だが、それができないのも、もどかしさが残る。しかし戦争によって
多くの人が巻き添えになり亡くなった人々を思えば、先の大戦の二の舞はもう沢山だ。
君子危うきに近寄らず、事件は本人が危険を覚悟されていたので多少は浮かばれる。
それにしても通称イスラム国というのは過激集団でこれでは真面に交渉すらできない。
でもこの際、何故このようなイスラム国ができたのか、中近東の混乱の原因はなにか。
遅まきながら中近東の歴史を調べてみた。この周辺は13世紀から19世紀にかけて
オスマン帝国というヨーロッパ南、中近東、アフリカ北部に亘る大きな国が治めていた。
人種・宗教の違いによって国民を差別しなかったのもオスマン帝国の優れた点だった。
イスラム、キリスト、ユダヤなどオスマン帝国での平等を享受していたと確証していた。
またアラブ世界がヨーロッパの植民地支配主義の手に落ちるのを数世紀も遅 らせた、
という点もオスマン帝国の功績だった。オスマン帝国は盛衰を繰り返したが決定的な
崩壊は第一次世界大戦で敗れたことで、このときイギリスに協力したアラブ反乱軍が
戦勝側として独立国家が認める約束だったはずなのに、英仏露三国が秘密に結んだ
サイクス・ピコ協定によって分割されたことで、フランスの勢力圏のシリア地方からは
レバノン、シリアが独立し、イギリスの勢力圏からはイラククウェートなどが独立した。
黒海沿岸はロシアによって占拠され今に至る。本当ならアラブ諸民族・宗派の総意が
尊重された自然な国境線が出来て当然なのに、イギリスに裏切られたアラブの人の
失望と恨みはいつまでも残る。人工的に引かれた不自然な国境線が今もって争いが
絶えないアラブの悲劇はここに始まる。白人諸国が支配した植民地主義という考えが
未だに人種差別に悩ませている現実を今回の事件で強烈に思い知らされた気がする。
人種・宗教の別に関わりなく植民地主義の勝手気侭で作られた国境は無理が生じた。
あのときのイギリスの二枚舌外交の責任は重いが謝罪もしないイギリスも厚顔と思う。
通称イスラム国の目的は、かつてオスマン勢力を取り戻すことだろうが、それにしても
やり方が陰湿で残酷でこれでは世界から嫌われるのは当たり前だ。アラブ人同士で
話し合うことが出来なかったのか。人の好い後藤健二さんもこうして犠牲になられた。
狂信者に命を奪われた悔しさは辛く永く残るだろう。今は彼の冥福を祈りたい。合掌!