隠居の独り言(1366)

今年の風邪のしつこいこと、風邪を引いたかな、と思った時点から二週間が過ぎた。
熱でもあれば床に伏すのだが今年の風邪の特徴は熱はなく咳ばかりが続く。だから
仕事場に出かけているが何か体が異様にだるく気力がない。徐々に良くなっているが
はっきりとした線引きがないので医者に処方してもらった薬だけは飲んでいる。医者も
「あまりご無理なさらず早くお休みになってください」とのマニュアルみたいな話だけだ。
若い時には風邪なんて一晩で治ったものだが、これも抵抗力の衰えた歳のせいだろう。
夕飯の時に弱虫の自分は「もうそろそろかな、春までモタナイかも知れない」と老妻に
弱音を吐くと「あら、そうなの」と他人事のように言う。暖簾に腕押しのような言葉には
何だが癪にさわってきそうになる。例え嘘と分かっていても「今、死なれては困ります」
わざと驚いてみせ心配そうに振舞うのが長年同じ屋根の下で暮らした者の仁義だろう。
といって老妻の愚痴を言っても始まらない。自分だって愛情込めた話などしたことない。
女は強くなったものだ。ちなみに男は相方に先立たれると2年。女は20年の生存率という。
聖書にある言葉[弱きものよ、汝の名は女なり]は男に変えねば辻褄が合わないだろう。
チョンガー時代、倦怠期の夫婦の物語を読んだことがある。この主人公の人生なんて
ツマらないなぁと思ったが長い歳月が流れた今、同様に自分も同じ光景がここにある。
人類はどんなに文化や文明が発達しても生活の中身の愚かさは全然変わっていない。
都々逸の中道風迅洞の句を思う「逢って三年、愛して五年、飽きて十年、あと惰性」
「こんな野暮にも身の置きどころ、あるが三千無碍世界」人生の哀歓が詠まれている。
今、老妻は腰を痛め、そのうえ血圧も高めなので今年の冬の朝は自分が家事一切を
担当している。といって嫌がっているのではない。家事をすることで体を適当に動かし
朝食が美味しいのは良いことだと思う。「ご飯が できたよ」開口一番で老妻を起こし
雨戸を開け、朝日を部屋に取り込む。これまでは朝食ができるまで新聞を読むだけの
自分だったが毎朝の家事を習慣にして、これからも身体のため続けたいと思っている。
老妻は腰を痛めても、出来るだけ体をマメに動かしなさいとの医者の弁なので休日は
郊外に車や電車で出掛けることにしている。花鳥風月と大げさでなくても外出は良い。
夫婦は言葉じゃなく空気のようなものだから、互い邪魔にならない程度に暮らしたい。