隠居の独り言(1368)

曽野綾子さんの産経新聞に掲載されたコラムが「アパルトヘイトを許容している」との
抗議を某新聞から受けたことについて抗議をされているが、自分がこのコラムを見て
どう読んでもアパルトヘイト称揚をしているように読めない。そもそも移民先の文化の
違う国に来て自分の生活スタイルを合わせる気がないなら居住区は別々の方がいい。
人間の文化の違いは如何ともし難く自分だって処かまわず煩い中韓の人は嫌いだし
白や黒の人が電車で隣に座れば体臭が気になる。曽野綾子さんが自らの体験から
感じたことを綴られたコラムであり、それをとやかく言うのは言論の自由に引っかかる。
今、曽野綾子さんの「戒老録」を読んでいる。名のとおり老いの行いを戒めた本だが
その中で「豊かになればなるほど社会が整備されればされるほど不満を抱く老人が
増えるだろう。私は裸で母の胎内から出た、というのは旧約聖書のなかで何度か繰り
返される言葉だが、本当に私たちは、例外なく誰もが、才能も金も着物も、体の強さも
何も持たずにこの世に生まれたのである。それを思えば、すべて僅かでも与えられて
いることは偉大な恩恵であった。年寄りの幸福はこの判断ができるかどうかだろう・・」
「戒老録」には老人には納得いくことばかりの参考書だが、それでも曽野綾子さんが
本を執筆されたのは60歳代とされるので「戒老録」から見た老人像は、まだまだ知性、
理性のある老人といえる。でも自分は既に八十路で著書と多少感覚の違いはあるが
戒めの意識は生涯を終えるまで持ち続けたいと願う。「戒老録」の一部を要約すると
①他人が「くれること」「してくれること」を期待してはいけない。それらは諦めること。
②身内の者なら何を言ってもいいと思ってはならない。身内なら当然と思わぬこと。
③自分の苦しみがこの世で一番大きいと思うのは、やめること。苦しみは誰も同じ。
④「ひがむ」のはあまりに凡庸だから意識してやめること。何ごとも自分ですること。
⑤若さに嫉妬しないこと。若い人を立てること。若い世代は自分より、もっと忙しい。
ひとつ、ひとつが御説御尤もな「戒老録」だが人生八十路にもなれば体も心も萎えて
知性、理性が遠のいていくのを実感し、生きる有限がもうそこまで来ているのは毎朝、
鏡に映る姿が日々、醜にくくなっていく自分がある。このような老いを誰が決めたのか。
物忘れが多くなる。体の動きが遅くなる。反射神経が鈍くなる。考えるのが億劫になる。
それは神さまでもあなたでも自分のせいでもない。理由なく時間が老いを積み重ねる。
今や孤独死が増えているという。少子高齢化が進む将来は子供や孫はあてにならず
もしも相方に先を越されては独り世帯の末路に哀れを見るだけで誰も振り向かないし
邪魔者にされるだけだ。老いの哀れさを心体ともに知るには老いて初めて分る実感で
誰もが美しく老いたいと望むが、それには、きちんと独りで生きる訓練をすることと思う。
「裏を見せ表を見せて散るもみじ」良寛の辞世だが人はもみじのように美しく散らない。
自分の残高の何年かは神の領分だが、できるなら見苦しくない終末でありたいと願う。
「あなたより早く死ねて幸せ」と死の美学を演じたい。自分だけ唯一無二の大団円だ。