隠居の独り言(1371)

3月に入った。田舎から上京したのが昭和24年3月(1949)だったから70年近くなる。
あれこれ履歴を重ね、両国に店を構え40年になるので人生半分をこの地で暮らした。
芸能人で同年輩の大橋巨泉氏は両国の生まれで彼は「こうなるともう、下町の情緒は
感じられないね。ビルだらけだもん。僕が子供の頃は、何々さんなんて姓で呼ばない。
隣の魚屋、向かいの八百屋、その隣の豆腐屋。裏のうちは、しもた屋だから勤め人だ。
なんて言っていた。下町は大抵が商売しているか、職人で勤め人なんて珍しかったよ」
一応我が家も帽子屋を営んでいるが、言われてみれば近所には中小企業の家が多く
とくに繊維、鉄鋼関連企業が多い。しかし近所の景気が良かったのは高度成長期で
今では仕事は工賃の安い東南アジアに移し往時の景気の様子は影が薄くなっている。
巨泉氏の仰せの通りマンションが林立し、他方からの様々な人が暮らすようになって
昔の下町情緒が感じられなくなったのは寂しい限りで「隣は何する人ぞ」の雰囲気だ。
それでも自分は15歳で上京して70年近くになるから気持ちは既に江戸っ子気分で
時代小説で下町の地名が出てくると、ほんのりと背景や人物の親近感がこみ上げる。
東京の下町に居て良かったと感じるひとときだ。嬉しいことに1991年(平成3年)に
徒歩3分の立地に大江戸線という地下鉄が開通したことで駅の名も両国駅とされた。
都心を一回りする地下鉄の名の由来が初めは「東京環状線」で決まりかけたが実際、
路線が6の字の形で一回りには乗り換えが必要なので当時都知事石原慎太郎
「寝ていて何回まわっても同じところに来るのが環状線だ」と難色を示し結局は彼が
名付け親で大江戸線になった経緯がある。しかし墨田区江東区といった下町を経由
しているので大江戸線の名は相応しい。築地、佃、蔵前、両国、門前仲町麻布十番
勝鬨清澄白河、月島、神楽坂、若松・由緒ある沿線の駅名が並ぶのもお気に入りだ。
明治の作家・泉鏡花が愛する「すず」に出会った所が神楽坂、鏡花は金沢生まれだが
神楽坂花柳界で出会って妻とした。若松は昔、正月を飾る門松の産地で名の由来だ。
大江戸線を一回りするだけで江戸の昔が蘇ってくる。しかし良いことばかりじゃない。
大江戸線の経営は大赤字で累積約400億円の損金で、本当なら東京メトロと統合を
したいが話は進まない。だから都の不良債権と言われる。400億円と、一口で言えば
簡単だが新券で100万円が厚さ1センチで、これを重ねると1億円で1メートル。
400億円なら400メートルで、9,11テロで倒壊したNYのワールド・トレードセンターと
同じくらいの高さになる。今、政府は地方創世事業に取り組んでいる。東京も地方の
一部だが限られた予算の中で故郷をどうするか。とりあえず大江戸線を大事にしよう。