隠居の独り言(1372)

春は恋の季節だ。寒い日もあるけれど昼間が随分長くなって春はそこまで来ている。
天気のいい日は小鳥が囀り、蝶が舞い花も咲きはじめ自然もウキウキしているようで
自然とともに春は人も恋の季節に違いない。自分は最晩年なので恋は今更の歳だが
美しい女性を見れば振り返り優しい言葉や仕草の女性に魅かれるのは歳に関係ない。
恋の成就は無理でも、恋する心は命終えるまで持ち続けたいと願う不良老人でもある。
既に八十路を歩み今だから話せるが若い頃、随分恋をして殆どが失恋の憂目だった。
それには学歴、職業、容姿、教養、収入、齢差、或いは許されぬ恋、原因は多々だが
共通していたのは「相手より自分が愛しすぎていた」このことをこの歳に気づかされる。
自分の趣味の一つに都々逸がある。短歌や俳句のような、高度な質感は薄いけれど
江戸時代からの七七七五調の都々逸の艶っぽい詞は男女の機微で粋な殺し文句だ。
一人笑うて暮らそうよりも 二人涙で暮らしたい
都々逸というのは現代人と違い「I LoveYou」だの「Kiss Me」だのストレートに言わずに
粋な言葉で伝える色香がモットーだ。どうせ恋人を口説くなら、こんな言葉で迫りたい。
川の字はそりゃ後のこと せめてりの字で寝てみたい
夜、子供を中にした川の字の仲良い夫婦だが、この詞は日本語の文字遣いの絶品で
「り」という字は男女に喩えた長短の棒が結ばれるよう下で曲がっているのも色っぽい。
思い直して来る気はないか 鳥も枯れ木に二度止まる
喧嘩別れした女に再縁を望む哀れな男。でもそう言っては元も子もないが女は冷たい。
別れた女に未練を持っちゃ男が廃る。最近の事件簿は殆どが男の身勝手から起きる。
妻と思うている身が主に 文を変え名で書く辛さ
恋する相手が不倫であろうとなかろうと偽名を使って書かねばならぬこの身の切なさ。
恋文など書かないほうがいい。記念の栞、紅の押花、紫の便箋、のほうが心に伝わる。
惚れられようと過ぎたる願い 嫌われまいとこの苦労
男女の仲は近くて遠いもの、遠くて近いもの。遠距離恋愛でたまの逢瀬の恋もあれば
近くにいても恋心を打ち明けられないもどかしさもある。恋の喜びと悲しみは紙一重だ。
逢うたその日の心になって 逢わぬその日も暮らしたい
恋をした人なら誰も経験があるが、逢瀬のあとの満足感は生きる喜びの絶頂だろう。
しかし逢えない淋しさは恋の経験がないと分からない。それは道ならぬ恋であっても・
もしやこのまま焦がれて死ねば 怖くないよう化けて出る
女心とは、とても柔らかく優しいけれど、男に裏切られた女心ほど恐ろしいものはない。
死んでお化けになるとは脅迫そのものだ。だから女を一生大切にしなければならない。
冷めた仲でも雪降る夜は たぬきうどんで温めあい
最後は自分の駄作。山の神と連れ添ってウン十年。これで良かったか答えはないが
互いに労わり合わないと老夫婦が成り立たない。晩年に出逢いの妙をしみじみ思う。