隠居の独り言(1374)

過ぎても昨日のような2011年 3月11日、東北地方三陸沖大地震から4年が過ぎた。
先だって阪神・淡路大震災20周年が巡ってきた矢先に東日本大地震の恐怖が蘇る。
言うまでもなく地震は天災だ。地球の活断層の動きの何万年かをかけて日本列島の
地形が造られた。美しい山脈、河川、湖、池、盆地、等々、活断層の産物といっていい。
M7-9の大地震は概ね100年周期だから日本中のどこに住んでも人生八十年として
どこか一箇所に留まれば、必ず震度5以上の揺れに出くわすのは当然の計算になる。
でも大地震に対して、どんな緻密な対策を講じようが前提として運不運が付きもので、
運が良ければ難を免れ運が悪ければ人生が大きく狂い中には死まで用意されている。
地震直後に海にいれば津波に襲われ、山にいれば揺れだけかも知れない。全て運だ。
原発事故も不運だった。同じ太平洋で同じ原子炉の福島と女川が同じ14mの津波
被りながら明暗を分けた検証をきちんとしなければ原発再稼働の行方に影響してくる。
阪神・淡路では死者6000人を超え、東日本では死者・行方不明者20000人を超えた。
日本の不運は政治もあった。阪神・淡路は総理が社会党村山富市首相で自衛隊
本格に出動したのは地震発生から4時間以上経ってからだった。国会で追求された
村山首相は「なにぶん初めての経験で」との迷答弁を残すだけの体たらくぶりだった。
東日本大震災では直後に民主党菅直人首相が福島第一原発に乗り込んで現場を
混乱させ初動対策を遅らせて結果メルトダウンの壊滅に繋がった。その後の追求で
「想定外」という言葉で言い逃れをしたのは神戸に似ている。村山、菅の両元首相に
震災の責任を感じてもらわないと亡くなられた人々が浮かばれない。東京も大震災や
直下型の再来が近いという。現在の予知の対象は東海地震が有力だが、怖いのは
千年に一度と言われる直下の活断層が動いた巨大地震で、強烈な上下動で一瞬、
無重力の状態となるらしい。鉛筆もピアノも宙に浮く。三秒後に無重力状態は解消し
いったん浮いた建物や家具、その他諸々、不自然な状態で着地し倒れて破壊される。
これは机上の理論だから実際にどうなるか分からないが「当たらずも遠からじ」だろう。
3,11は多くの災と人を亡くし多くの人に教訓を与えた「死を視ること帰するが如し」の
格言は亡くなった方々に失礼だが人は誰もが死んでいく。神が決めた、Xデーまでに
人はやるべきこと、できること、生きること、感謝することが、あの日の教訓にあたる。
震災を忘れない証しは生きていることに実感を持つことで、それが亡くなられた方への
一番の供養と信ずる。今、生きる喜びを我々は持っているだろうか。3,11に思う。