隠居の独り言(1379)

我々夫婦は昭和40年4月4日(1965)に結婚した。今年が2015年だから50年になる。
誰が名付けたか?俗に「金婚式」ともいう。「継続は力なり」というが、よくモッタと思う。
50年前、近所のおばさんの紹介でお見合いし結婚をした。当時はこれが普通だった。
与謝野鉄幹に「人を恋うる歌」がある。♪妻をめとらば才たけて みめ美わしく情あり・・
結婚相手の理想の花嫁を歌っているが世間並み以下の自分にハードルが高すぎる。
男として力もなく、学もなく、才もなく、財もなく、標準的な男から大きくかけ離れている。
お見合い相手も自分相応の下町の平凡な娘で、歌詞からは我ら夫婦は失格者だろう。
そもそもお見合いというのは世話好きな下町のオバさんが方々から頼まれた縁組の
写真や身分を吟味して縁起の良い日に見合いをさせる。当人の好みより家柄財産が
優先される。オバさんは見合いの数と結婚に至った履歴を自慢するのが生きがいだ。
当初は貧乏で、借家に住い、仕事はきつい、夜いつも遅い、煙草は吸う、麻雀はする。
結婚相手としては完全落第生だが仕事は順調に甲斐あって商売の売上げが伸びて、
三年経ち家を無借金で建てた。何の取り柄もないが仕事だけは何とか自信が持てた。
恋愛結婚でなかったので熱烈という雰囲気はなく一応の夫婦の体裁は保っていたが、
年数が経つと山の神も本性が出て、愚痴、口答え年中、リンキは起こす、買い物好き、
飯は自分よりも食べる。夫婦の諍いは年中行事で犬も避けて通る。犬も三日飼えば
情が移ると言われるが、夫婦だって三日以上暮らせば情と諦めがつく。長年暮らして、
何でこんな女と所帯を持ったかと後悔と諦めが交差するが時が経てば何となく忘れる。
向こうだって夕飯を作りながら、なんでこんな男を伴侶に選んだのか悔いているだろう。
そんな惰性が続いて、10年経ち、20年経ち、そして50年が経った。アカの他人が50年の
長期間を一緒に暮らしたというだけで大変な縁というべきだろう。そのうえ二人の娘に
恵まれ、孫の6人が生まれて密度は広がっていく。「袖触れ合うも他生の縁」という。
地球上には何億の女がいても結婚というのは全くの偶然の結び付きだ。二十数年、
それまで別の環境で育ち別の世界に住んでいたのに袖触れ合った位の偶然偶発が
重なって結婚できたのは、神の摂理というものか。これは永遠に答えのない縁だろう。
男は責任として家族を養わなければならない。サラリーマンと違い一応経営者なので
関連する企業や人への責任は重い。だから働き蜂のように月月火水木金金と働いた。
そんな毎日毎日が続き、歳月を重ね、いつの間にか老人になっていた。金婚式まで
女房と添えたのは勲章だ。先日テレビのアンケートを見た。「再び生まれても今の人と
一緒になりますか?」答えは、男80%、女50%だそうだ。さて自分が尋ねられたら?
こればかりは人に言えない。   「女房に持ってみれば、みんな夢」 小林一茶