隠居の独り言(1381)

パソコンを使い始めて12年になる。最初は仕事関係で必要になったのでパソコンを
仕入れたが始め何もがチンプンカンプンで多くの方に教わりながらの悪戦苦闘だった。
パソコン教室へ通うことも考えたが、周りの人たちのおかげで触れるように成長できた。
今では毎日スイッチを入れるが、それでも基本的なことは実は未だに分かっていない。
なにしろ機械を買ってきても、マニュアルを読むことも、参考本に目を通したこともなく
(恥ずかしながら解説が理解できない)それでも何とか使いこなすことが出来るように
なったのだからパソコンは不思議なものと思う。それでも、ときどきトラブルが起きる。
そんなとき「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」で若い人たちに聞くことにしている。
最近は孫のほうが精通して魔法のように解決してくれる。今の若者はたいしたものだ。
孫の中に自作でゲームソフトを考案して楽しんでいるが、とても真似できるものでない。
今でも分からないことが多すぎる。他人様のHPを拝見して尊敬と諦めムードが漂う。
古い時代は老人の体験が尊敬されたが現代の老人が軽蔑される理由がここにある。
実際自分の昔の友の殆どがパソコンから乗り遅れてしまったがその点自分は幸せだ。
ただ友人とパソコンの交流ができないのは淋しく、ますます遠ざかる時代が恨めしい。
それにしてもパソコンは何て便利で素晴らしい機械だろう。長生きの良かった理由の
ひとつもパソコンが生活になっていることだ。この利便さは20世紀最大の発明だろう。
それを世界に発展させたアメリカのビルゲイツは人類最高の功労者といえるだろう。
しかしパソコンとは根本の構造を理解していなくても自分に必要な部分だけ習得して
いればいいと思っている。そんなわけでパソコンの機能の部分のほんの一部分だけ
利用して色々楽しんでいる。ブログもその一つだが最初はキーの配列を覚えることで
精一杯でとても文章にならなかった。だから始めの頃のブログ文は拙くて恥ずかしい。
便箋に文章を書きパソコンに移し替えることもした。それも一本指で遅々として書いた。
目指したエッセーどころでない。筆力もなく起承転結も、ままならない恥ずかしさだった。
今だから言える初心者マークだった。あれから12年が過ぎた。今では誰に頼らずとも
文字がすらすら打てる。拙い文章なら削除できるし、途中気づけば行間に入れられる。
青春時代こんな便利な機械があったならラブレターの文章ももっと上手く書けただろう。
もしかして人生のHistoriaも変わっていたかも知れない。自分は生涯メカ音痴のまま
一生を終えそうだが、このブログもいつまで続けられるのか。それは神の意の領分だ。