隠居の独り言(1403)

どうしても韓国を好きになれない。今日22日は基本条約締結から50年の節目だが
正式な首脳会談も開けない状況が続いている。それは竹島慰安婦歴史認識
互いの不信感があるからで、それも一方的に韓国側から問題ありとして、しつこく言う。
竹島をとやかく言うなら国連司法裁判所に提訴すればいいのに何故か韓国は嫌がる。
自分は昭和初期に生まれ、戦前・戦後の実社会を体験した人間として言いたいのは
そもそも従軍慰安婦なんて言葉は無かった。問題は、これを平成のモラルの感覚で
心情的、情緒的にとらえることが誤りで当時の日本の社会は公娼制度が実際にあり
多くの女性が娼婦として遊郭や岡場所で働いていた。売春は半ば公然の時代だった。
なかにはひとりで街角に立つ夜の女もいた。これらを需要と供給という面から見れば
むしろ供給の方が多く、お茶をひく(客がいない)娼婦の方が多かったのも現状だった。
男尊女卑の太古の昔、女性の初めての職業は娼婦と聞き及ぶが人類の生態の源は
ライオンやオットセイのように、強いオスが多くのメスを抱える一夫多妻的だったと思う。
歴史を遡っても例えば戦国時代の合戦のある場所には多くの女性が集まったというし
戦後だって米軍基地周辺にはそうした女性が溢れていたことを、みんなは忘れている。
つまり問題のポイントは強制連行があったかどうかにあるが、わざわざ軍が慰安婦
連行しなくても、その道の業者がたくさんいたはずで事案に事欠くことは考えられない。
戦後、記録に残る米軍の戦争情報局資料記述を引用すれば「1942年5月に業者が
日本全土(朝鮮半島も含む)のこれらの女性を募集した。「高収入、借金返済の好機、
軍慰安の業務」に、多くの女性が応募したと記されている。韓国の人も調べるといい。
自分も当時を生きた人間だが昭和31年5月31日の売春禁止法が施行されるまで、
男の遊び場として存在した。しかし今も性産業が続いているのは何なのかと言いたい。
戦後処理問題は様々な案件があったが、なかでも慰安婦の問題にはよく調べもせず
元村山首相や元河野官房長官が悲痛な顔をして談話などするから事が大きくなって
韓国から謝罪と賠償を要求される。その意味で二人は日本の尊厳を大きく傷つけた。
日本のマスコミも、進歩的とされる評論家がともに問題を罪悪視するキャンペーンに
余念がない。評論家はその偽善を良心的、知的な姿勢と錯覚していることから始まる。
兵士と女性のことはあくまで人間的であり戦争には直接関係がない。にもかかわらず
それを「歴史の真実」と断定し、罪悪視する風潮は、はたして勝者の原理なのだろうか。
戦後GHQが日本政府に発した初めての辞令は「慰安所の設置」だが、何と説明する。
人間的な根幹に関することを戦争に結びつけること自体、無理と滑稽を感じる。