隠居の独り言(1422)

夏が来れば思い出す。其の十三。週末に戦後70年にあたる8月15日がやってくる。
自分は82歳だから戦中12年、戦後70年を生きたことになる。物心がついた頃には
日本は戦争をしていた。戦争が終わった時は小学6年生12歳。従って子供の頃は
生粋の軍国少年で大人になったら兵隊さんになって、いずれは大将にまで出世して
日本を動かそうと考えた夢少年だった。軍人のエリートコースとは中学2年修了から
幼年学校→士官学校→准尉→将校の道だが、今でいえば開成→東大のように難しく
そのため少年は勉学に勤しむことができた。結果「国敗れて山河あり」だが、それでも
ひとつの目標に突き進んだ軍国少年の志があったからこそ今の自分があるのだろう。
繰り返しだが、戦争末期から戦後での生活はひどく戦争末期には敵機の空襲に備え
厳しい灯火管制下、「蛍の光」の暗さを生きて当時の食料は「縄文時代」に等しかった。
歴史にイフはないが、戦前の日米交渉で満州での帝国主義をやめ中国から兵を引き
大戦が無かったとしても、いずれ満洲朝鮮半島も重荷になり今の繁栄はあり得ない。
あの頃の日本は大国の仲間入りに憧れたが敗戦で元の島国に戻って良かったと思う。
大国とは、異民族を支配しながら強大な軍事力と大領土を守る莫大な経費が必要だ。
今の超大国、ロシアや中国は自国の民族まで抑圧し体制を守るため手段を選ばない。
例えばロシアと中国は未だ「対独、対日戦勝記念日」を催しているがこんな記念日の
古代的奇習としか思えない行事は内外に対し、怖れ入りさせる心理作戦に他ならない。
大国とは実に非人間的な国家で、歴史を顧みれば、ひと握りの人間の欲望で決まる。
日本は昔から「和」を尊ぶ精神と文化があり、慎ましやかな島国日本が似合っている。
国家も国民も身分相応に生きることが庶民の幸せだ。「時」の経過とは有難いもので、
「鬼畜米英」「出てこいミニッツ・マッカーサー」と叫んだ戦時中のスローガンも今では
走馬灯の一コマだ。憎んだことも、嫌いだったことも「昨日の敵は今日の友」に変わる。
国家には栄枯盛衰はつきものだ。今では中国が力をつけてきているが、ごく最近まで
世界一の国はアメリカだった。自分が子供の頃、日本は別として世界一はイギリスで
英米独仏伊露中の順と習った。19世紀に七つの海を制したのはイギリスだったから
世界の共通語は英語でアングロサクソン後継者のアメリカが超大国になるに及んで
英語の地位は揺るぎないものになった。日本の小学校から英語が学習科目になったが、
美しい日本語も忘れないで欲しい。でも世界の将来は分からない。今の共産中国が
米国を追い越して中国の夢が実現し、華夷秩序になればアジアの国々は中国語が
必須科目にもなったら一大事だ。だからこそ、日米安保の重要性を大切に思いたい。
8月15日が近づくと、新聞やテレビが戦争の回顧や平和の誓いばかりで鬱陶しいが
歴史観というものは人によって違うのも当然だし、いささかの偏りがあっても構わない。
14日に日本の近現代史の総括「安倍談話」が発表される予定だが、楽しみにしている。
平和は口先だけでは、やってこない。戦後日本は国家として平和路線を厳守してきたが
そのことは誇っていい。でも大戦のことはもう歴史の一部に入れる時に来ていると思う。
戦中・戦後の書きたいこと、言いたいことは、まだ山々だが、とりあえず一休みしたい。
PS  しばらくブログを休みます。