隠居の独り言(1427)

毎年の例で夏の終わりに「半日人間ドック」を受けることにしているが今年も終了した。
結果、昨年と同じ。半日なので検査項目は問診、胸部X線、血圧、心電図、血液採取、
眼底、尿、便などの簡単なものだが、一週間後に検査の結果の数値の説明を聞いて
ひとまずの安心感と、次回の検査までの一年間の命の執行猶予を頂いた感じがする。
といって自分も持病は2,3持っていて心房細動という不整脈動脈瘤の爆弾を抱える。
でも持病100%の確実はないが定検していれば、まず大丈夫の判断を頂きホッとする。
若い時は「煙草は優しい麻薬である」とイキがって吸っていた煙草を止め30年が経ち、
後に前立腺ガンを患い我が玉体にメスが入ったが15年が過ぎ、もう無罪放免に近い。
人生は「生病老死」で生きる悩み、病との戦い、老いる悲しみ、そして死が待っている。
それは誰も公平で、この世に生を受けた以上、悩み、苦しみは避けることはできない。
先日解剖学者で東大教授の養老孟司の本を読んだ。曰く「人間の生命や能力の差は
殆ど生まれつき決まっている。先生方がそれを言わないのは、では教育はどうなるの、
となってしまうからね・・」読んて我が意を得たりと思った。鳶はけっして鷹を産まない。
わが人生も、結局は先祖代々から継がれたDNAの範囲内の出来しかないのを悟った。
どんなに勉強に励んでも自力はこれで精一杯。せめて命だけは全て使い果たしたい。
こんな時、つくづくと健康の有り難みがわかる。生きる幸せとは健康に勝るものはない。
小岩の善養寺は境内の樹齢600年以上と言われる「影向きの松」が有名だがそれに
あやって「ぽっくり寺」として大勢の老人が訪れている。年寄りの願いはそれに尽きる。
死の確率は100%だが直前まで健康で自分の足で歩きたい。だからぽっくり寺に祈る。
自分も八十路を過ぎて、もはや無理が利かない。健康の三原則、食事、運動、睡眠を
大切にする、具体的には3食腹8分目、歩行10000歩、睡眠は7時間を習慣にする。
仕事の無理は禁物、運転は一時間以内、夜遊びはしない、とにかく今はただ死ぬまで
健康でいたい。命短し恋せよ乙女ではないが80年以上も人間商売をやらせてもらい、
天国も地獄も体験したし、わがままな一匹狼の気安さをウン十年も好きにやってきた。
人生行路のターミナルはそんなに遠くないが、我が人生に悔いなし。ここまで健康で
こられた幸せを改めて神さまにお礼を申し上げたい。仕事的には多忙を極めているが、
といっていつまで続くのかわからない。それに自分を含め仕事を共にしている職人の
年齢、衰えを考慮すればそろそろ年貢の納め時が来ている。引き際の難しさを考える。