隠居の独り言(1428)

日本語の乱れと貧しさを問われて久しいが、その要因はどこからきているのだろうか。
やはり幼い頃の家庭環境、家族の会話の源が壊れ、その中で育ち、学校も教えない。
自分の体験だが、大阪に住んだ幼いころ、まだ戦争実感なく平和な暮らしが存在した。
岸の里という東京でいえば下町のようなところだったが近所の人たちはみんな親切で
とくに幼い子供達には、わが子のように可愛がっていただいた記憶が今も鮮明に残る。
午後になるとにわかに街の雰囲気が賑やかになる。小学校から帰校する生徒たちが
みんな大きな声で歌を歌いながら我が家に帰り、町中が子供の歌声でこだましていた。
現代のように自動車や電車の騒音もなく街中が静かだったから思い出の印象が濃い。
歌は学校の音楽の時間で習った唱歌で、下校途中にみんなで歌って家路についた。
今の季節なら「案山子」「虫の声」「村祭り」「七つの子」など詞の意味は分からずとも
小学生たちは大きな声で歌い、それに伴い幼児も自然に耳で覚えた。幼児は母から
聞いた童謡より、少し大人になった気分がした。当時の童謡や唱歌の素晴らしさは
正しい日本語に基づいて歌うための歌詞を紡ぎ出したもので、それを何となく耳にして
育った昭和一桁の年代は、学校教育とは違った別の筋道から日本語の豊かな実りを
耳にしたのを幸せに思っている。戦時中の軍歌といえど、言葉の哀愁と豊かさがあり
「戦友」「麦と兵隊」「同期の桜」など今聞いても胸の打つ歌詞が多いが最近の学校は
なぜか昔の歌を教えない。美しい日本語の原点は子供のころの童謡や唱歌で培われ
大人になって「話す、書く、聞く」の無意識に使っている言葉のベースは唱歌によって
育まれてきたものと感じる。国語教育は正しい日本語をきちんと教えるのが筋であり
例え音楽の時間であっても、昔のものでも、尋常小学唱歌であっても良いものは良い。
子供の頃は意味不明でも大人になれば理解し、それが人間味の深さに繋がることを
教育に携わる先生は、子供の将来の豊かな感受性を見据えて教育に当たって欲しい。
今の小学校の音楽の教科書を見ると、幼児言葉のような口語体の歌詞の歌ばかりで
音楽から遠ざかる。折角日本の教材的な唱歌があるのだから取り入れてはどうか。
それは難しいことでない。昔の情緒豊かで美しい日本語の尋常小学校唱歌がある。
かつて西条八十は日本語の滅びいく世間を嘆き「うたを忘れたカナリア」を作詞した。
「歌は世につれ世は歌につれ」歌は時代背景を象徴し、世のあり様も歌に影響される。
戦後になっていわゆる「昭和歌謡曲」と呼ばれる歌にも優れた作詞家が多く輩出した。
阿久悠岩谷時子、佐伯孝夫、なかにし礼、等、言葉の発明家による歌は素晴らしい。
謡曲というと俗っぽいと思う人も多いが、でも時代を経て、歌謡曲の詞も廃れていく。
今、若者が歌う歌の意味不明さは、騒がしいだけで歌詞の内容が自分は分からない。
それは齢のせいでなく、日本語の衰退によるものなのか。