隠居の独り言(1432)

関東地方の田ん圃では稲が黄金色にたわわに実って刈り取りの時期が始まっている。
日本にとってTPPの最大の焦点は農業問題で、関税の撤廃により米国などから安い
農作物が流入し日本農業に大きなダメージを与えるという。昔から日本は稲作国家で
例えば武士の給料は米の石高で決められた。石高って何だろう。歴史の先生は詳しく
教えてくださらなかったが、日本人は年に米一石食べる計算だと子供心にそう思った。
戦中戦後の形だけの全く形骸化された配給制度も、年に一人米一石との数字だった。
飢餓時代のことは省く。しかし戦後の大きな関心事は米の出来不出来であり、それは
江戸時代に生きた人より天候のこと、空梅雨、日照り、水不足、収穫時の台風などの
心配が大きかった。それは米収穫の総量というより日本人の食料の中身が変わって
江戸期は食べなかった牛や豚などの餌の心配も農作物に影響していった経緯だった。
稲作依存の度合いが減ってきた高度成長期でもあった。昭和49年ころ政府はコメが
余ったと発表したが世間は農家も含め、さほど反響はなかった。昔なら異常事態だが
日本人はコメを食べなくなったからだ。でも戦後の飢えの体験が懲りたのか、政府は
農家に対して余剰米を出さないよう補助金まで出した。過保護とまで言える農業への
政策はこれでいいのだろうか。結果、778%という途方もない関税をかけて輸入米を
抑えているが、我々消費者は国際価格の7倍ものコメを買わされていることになる。
そして都会人には何の補償もなく、農家への保護は選挙絡みの政策と僻みたくもなる。
田舎の旅で見る風景は農家の家の立派さよ、高級車もある。これも都会人の僻みか。
この季節、日本中は一年分の収穫の季節の田圃には稲がたわわに穂を垂れている。
「一日千秋の思い」というように一年を一つの季節で表す場合、昔の人は実りの秋を
代表にした。自国で採れる食料だけで国民を養い得る割合いを「食料自給率」という。
アメリカ120%,フランス160%,ドイツ85%,イギリス80%,イタリア110%,カナダ180%、
わが日本は29%と3割を切る。ただし主食であるはずのコメ自給率は100%を上回る。
それなのに余剰食料の廃棄は全体の3割に達するというから空いた口が塞がらない。
何という罰当たり、何という勿体なさ。食料自給率が悪いなら荒れた田圃を、もう一度
甦らせ麦との二毛作にするとか、空地全てに大豆や芋を植えるとかの方策をすれば
何%か上がるだろう。でも根本的に飽食時代を昔の倹しい食事に戻せば解決する。
昔の日本人は一汁一菜を基本とし一日二回食だった。交通機関も自分の足で東海道
五十三次を旅した。メタボなんて言葉は聞いたことなく糖尿病は贅沢病と揶揄された。
飽食を昔に還れば自給率100%になる。日本人のふるまい、心根にまさるものはない。