隠居の独り言(1443)

11月に入り、今年の暦も残り少なく2ヶ月めくりのカレンダーも最後のページになった。
自分も82歳、今は元気でも残り少ない命の残量なのは或る程度の覚悟を持っている。
或る程度というのは正直、心がそんな立派なものでないからで自分が病気や怪我で
医師から余命何ヶ月と宣告されれば、死の恐怖から落ち着いていられる自信がない。
生あるものは必ず滅す。死はいつ訪れてくるか分からない。自殺する以外は自分で
最後の時を決められない。だからいつでも死の覚悟と準備をしている人はまずいない。
でも一定の年齢が来たら後を振り返らず、前だけを見て終着駅に着くのを待つべきだ。
前にある終着駅までを健康に生き続けるのがベストであり生と死の美学であると思う。
死の準備は自分だけのものでない。終活という言葉があるけれど本当の意味合いが
分かっているだろうか。自分の人生は自分だけ。ひとりで生まれ、ひとりで死んでいく。
昔の人の偉さは辞世の句を創る潔さを持っていた。死の美学こそ真の美学というもの。
「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」芭蕉は旅の途中で亡くなったが、人生の終着駅は
いつか分からないかを物語り、「裏を見せ表を見せて散る紅葉」良寛は人が死ぬときは
全てを晒して逝くという。「吾れ死なば焼くな埋むな野に晒せ 痩せたる犬の腹肥やせ」
この壮絶な句は「花の色は移りけりな・」の絶世の美女・小野小町だが、小町も老いて
醜くなった自分に時の過ぎゆく無常観が堪らなく、美しさも土に帰ることを詠っている。
「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留置まし大和魂吉田松陰の句は見るのも辛い。
戦国武将の辞世に見えるのは「是非に及ばず」と人生をきっぱりと捨てた織田信長
稀有の立身出世した豊臣秀吉は「浪速のことは夢のまた夢」と、この世に未練を残す。
盗賊の石川五右衛門も「石川や浜の真砂は尽きるとも、世に盗人の種は尽きまじ」と
釜茹でされる前に詠ったが昔の人は残酷だ。勝海舟は「コレデオシマイ」と簡素だった。
スタンダールは「生きた、書いた、愛した」と逝った。さて自分は何を詠えばいいだろう。
好きな句は十返舎一九の「この世をばどりゃおいとまに線香の煙とともに灰左様なら」
ヘタでもヘタなりに辞世の句も悪くない。まだ時間があるので自分なりに句を考えたい。
人によって違うだろうが人生で一番難しいのは「頃よく死ぬ」ことと思う。昔の人たちは
「ぼつぼつ往生」といって自分で経帷子を編み始めたという。経帷子とは死者が着る
死装束のことで主に白麻の生地で、装束には真言、名号、題目などが書き込まれる。
今は秋、季節の秋とともに人生の秋でもある。