隠居の独り言(1459)

自分は今年4月で83歳になる。昨年の日本人の平均寿命は女86.8歳、男80.5歳で、
ともに過去最高を更新し女性は3年連続世界一、男性は前年の4位から3位になる。
死因第一のガンが撲滅できたなら、もっと長生きして平均寿命100も夢じゃないという。
しかし、いったいどうするつもりなのだろう。という感想が溜息とともに素直に出てくる。
かつて長寿が目出度いということだったのは、端的にそれが珍しかったからであって
平均寿命50歳の時代なら喜寿70あたりまで生きた老人は目出度い鶴亀であったし、
それらしい振るまいや貫禄もあり隠居なり翁として後進に範を垂れる知恵者であった。
しかし現在では65歳以上の老人が5人に1人の時代に尊敬される賢い老人は稀で
滅多お目にかかれない。それは老いることを否定的に捉える時代風潮のせいだろう。
老いるという実際は体力がなくなる、美しくなくなる、人生の快楽を享受できなくなる、
つまり社会の敗北者に成り果てることになる。文明の発達が急速な現代に生きている
老人は昔の賢者どころか、若い人に知恵を乞わないと現代の社会に生きていけない。
現役時代にネットがなかった仕方のない部分もある。しかし老人がみすぼらしいのは、
それまで自分の服を自分で選ばなかったのも一因だ。今まで妻任せで安い服を着て
会社勤めで家族を支えてきたお父さんは定年後も、よれよれの運動着にバーゲンの
スニーカーを履き、老人は余計、老醜が漂う。老いてこそ、お洒落をするのが粋と思う。
若さという価値しか知らず老いた人は語るべき知恵も持たず歳を取り、ただ歳のみで
無内容な年寄りは周囲からも疎まれる。それでも年寄りは老いることを恐れて各種の
健康法に勤しんでいる。それは健康年齢が男72歳、女77歳で、男8年間、女10年間を
人様の世話にならないと生きていけないからで適当なところでポックリ逝きたいと願う。
しかしどんなに健康法に勤しんでも最期は100%だから覚悟を決めなくてはならない。
どちらにしても会社を定年で辞めたら社会の「戦力外通知」で、後は若い人が稼いだ
お金を巡り巡って年金・社会保障という形で無駄遣いの老後になる。昔は年金もなく
まして後期高齢者は病気になれば、たった1割の病院負担で済むなんて贅沢すぎる。
昔は老いて病気になれば死を待つだけだったし何もできなくなったら姥捨て山だった。
本人も、それをきちんと享受することが倫理であり覚悟だった。自分もそうありたい。