隠居の独り言(1463)

先日もイジメが原因と思われる小学4年の自殺があった。学校の対応は今まで同様、
校長と教育委員長による言い訳で終始「自殺に結びつける行動に気付かなかった」
「二度とこのようなことのないようにしたい」今まで同様のテレビを何回見たことだろう。
校長もパニックだから発言も分かるが、生徒を最も知っているはずの担任の姿がない。
担任が姿を見せないのはなぜだろう。教育に携わる者が自分の子供だったらどうする。
実は教師として答える言葉が知らないからだ。これでは、死をもって訴えた小学生が
浮かばれない。せめて校長と担任は教える立場の責任を取って辞職するべきだが、
そんな立派な先生を今まで一度も見たことがない。いじめはいけないに決まっている。
生徒に善悪を教えるにはどうすればいいのだろう。先生はとりあえず「いじめは悪い」
「暴言は悪い」「暴力は悪い」と言葉で言うしかない。しかし生徒が「何で悪いの」との
問いにはきちんと答えられなければ先生の資格が無い。おそらく答えられないだろう。
先生の善悪を教えることの偽善を、生徒は看破しているからだ。それではどうするか。
そもそも大学を出てすぐに学校の先生になること自体、間違っている。子供を教える
立場の先生は、或る程度の社会経験を経て或いは慈善事業を経て教師国家資格を
与えないと生徒に教えることは無理だと感じる。医師も国家試験をパスしても2年の
研修を積まないと正式の医師になれない。教師という重い職業も社会の研修期間を
持つことが人を教える資格と思う。では日教組は何をしている。彼らは子供教育より
先生の労働組合で、給料や休暇のことばかり考える日教組は百害あって一利なしだ。
実際、教師が泥棒したり買春したりするケースが絶えないのも社会勉強の不足と思う。
戦前は男子が二十歳で徴兵制度の軍隊生活2年を課せられた。平成のモラル感とは
違うが、厳しさも優しさも身を持って覚えたものだった。戦前の教師は、その年齢後に
なるのは言うまでもない。男ばかりでなく女性教師もそれなりの躾を身につけていた。
善悪とは社会そのもので自分さえよければいいというものでない。言わば教師だって
社会の中の一員であり社会がなければ生きていけない当たり前を教えるのが先生の
仕事だろう。教師だって人間だ。喜びも苦しみも悲しみも体験し、社会の中の研鑽で
本物の善悪をきちんと知ってほしい。昔を偲ぶわけではないが昔の先生とは素直に
尊敬でき恩師の名にふさわしい方だった。もし生徒の中のイジメに気づけなかったら
職を辞するくらいの責任と覇気がほしい。自殺に追い込まれた小学生が哀れでならない。