隠居の独り言(1486)

先週、銀行で個人の通帳から多少、大きめの額のお金をおろした。この年齢になると
いつ死ぬか、又はボケるかも分からないのでお金の面をきちんとしなければならない。
お金は歳を取ってからも忙しい。家の修理、車、家具、教育費、終活費もキリがない。
案の定、銀行の店員が「このお金は何にお使いですか」と尋ねてきた。自分が貯めた
お金を何に使おうが余計なお世話だ。第一、人の生活に踏み込んでくるとは失礼だ。
と言いたいところだが、最近オレオレ詐欺の被害者が年寄りに多いからとの銀行員の
多額の出金をした人への対応のマニュアルだそうだが、聞かれるこちらは不愉快だ。
それにしても何千万も詐欺に遭う老人のニュースを聞くとこんなに銀行がうるさいのに
どうして防げないのか不思議に思ってしまう。タンス預金いっぱい持っていたのかなぁ。
まぁ、銀行で不愉快な思いをしているうちがいい。詐欺に遭わない心の準備が大切だ。
話題は変わるが、最近は「下流老人」と称される高齢者の貧困が話題になっている。
実際、国保にしか入っていない多くの職人や商人の老後には国民年金が夫婦二人で
月13万円以下なので暮らしは乏しい。そしていつかは独り身になるが、月々手取りの
65,000円相当で幸せな老後を過ごすことは不可能になる。一般的なサラリーマンなら
退職金もあり年金も多いので、中流に暮らせると思うが実際にはそうでもないらしい。
問題は急な病気や家族の介護などの想定外のことが起きると貯金はあっという間に
消えていく。現役時代の高給取りにかぎって、それなりの生活をしていたので案外に
貯金がなく下流に転落の場合が多いという。定年後も見栄を張り身の丈に合わない
買い物、ゴルフ、海外旅行などする。昔の高給取りほど老後の危機感が薄いという。
そして老後の資金がろくに貯まっていないことにハタと気付く。気付いてもすでに遅し。
最近の健康ブームや医療の進歩で老人は長生きするようになった。慶賀の至りだが
長生きはまた嵩む生活費がいつまでなのか分からない。最終の日は神のみぞ知る。
むしろ国民年金だけの慎ましく暮らしている高齢者の方が気持ちが生き生きしている。
考えれば年金問題ひとつとっても世の中は不公平そのものだが、それも気持ち次第。
老後の暮らしは三つの原則、健康と、多少の資金と、ポジティブな心があれば幸せだ。
「死と同じように避けられないものがある。それは生きることだ。」 チャップリン