隠居の独り言(1510)

今年も後半、83年余りの老境を彷徨っているが、そろそろお迎えが近いと感じている。
体力の衰えは無論のこと、五感(視、聴、触、味、嗅)も怪しくなって、忘れっぽくなる、
意欲がなくなる、思考力の衰え、齢を上手く取るという作業は易しそうで、とても難しい。
若い頃に、老後の暮らしを考えた。当時は現在の年金、保険医療、老後保証などなく
戦前の社会形態をもとに老後設計をしなければならなかった。貯金して老後に備え、
年寄りになったら子供に面倒を見てもらう心算だった。それには「備えあれば憂いなし」
その言葉を自分なりに信じて、稼いだお金は徹底して無駄を省き、若い頃を過ごした。
独立して間もない頃はとにかくお金が無かった。近くの倉庫の一部屋を只同様で借り
食べるのも朝一食、夜は時々職人宅で馳走を受けた。得意先から入金されたお金を
仕入れに払えば殆ど残らなかったが、それに耐えることが成功と考えた心意気だった。
独立して5年ほど経ち、ようやく軌道に乗り始め、人の薦めもあって見合い結婚をした。
ナイナイ尽くしの自分に嫁に来てくれた糟糠の妻には頭の上がらない生活が始まった。
結婚後も朝早くから夜遅くまで休みなく働き続け、働いた時間には今も自負がある。
昼間は得意先を巡り注文取り、裁断、仕上げ、夜は一旦、家に帰って食事をした後に、
数軒の職人宅へ車で集荷した。仕事の注文も順調なのが嬉しかった。30-40代頃の
カレンダーには休日の印はない。休みと言えば従業員や職人を連れての慰安旅行と
冠婚葬祭だけで今に思えば若かったからこそ出来た意欲と体力であった。50を過ぎ
仕事に余裕が生まれ念願の楽器を始めた。最初は三味線の心算だったが故あって
ギターにした。弾くだけでなく、友との出逢いがあり、晩年を豊かにしてくれたのがいい。
作家・邱永漢は財産とは「貯金、不動産、株の三本立て」にするのが理想と説いたが、
どんな社会変化にも耐えうると今も彼の言葉を疑わない。でも人生は金だけじゃない。
老いの暮らしの幸福は、1に健康、2に経済、3に生き甲斐・・あとは神の配慮に頼る。
とりあえず今は三つの条件を満たしている。子供が大人への準備の勉強をするように、
大人になれば晩年の準備の勉強をしたい。まして少子高齢化の時代には年寄りには
厳しいもので、今の若い人は将来を見据えて暮してほしい。自分史は一代だけのもの、
有限の時間は短いが、枯れても品位ある晩年でありたい。