隠居の独り言(1520)

八月になれば思い出す。広島・長崎の原爆投下で日本の敗戦が完全に決してから、
ソ連は一方的に日ソ中立条約を破って参戦、満州に攻め入って、当時満州に住んだ
民間日本人の多くを、動物狩りのように強奪、強姦、殺戮し財産の全てを没収された。
そのうえ武装解除した日本兵約60万人を「異国の丘」に拉致し7万人以上も死なせた。
その記録や文献も多いが、一貫して述べられているのは、日本人抑留者は窓も無い
貨車に乗せられ、シベリアの荒野を行先も告げられず、ソ連兵の欺瞞と悪意に満ちて、
病気や怪我の人は貨車から落とされ、着いた先のロシアの収容所での強制労働の
日々が続いた。2000か所にも及ぶ収容所にはどれほどの日本人が抑留されたのか、
未だはっきりしない。抑留の解放はアメリカの仲立ちでようやく2年後から始まったが
その恨みは消えるものでない。そしてロシアは謝罪の一言も無いのも実に腹立たしい。
日本はソ連に宣戦布告したことはなく連合軍、米英ソはヤルタ会談で戦争の終結
早めるため当時締結されていた日ソ不可侵条約を破って、しかも瀕死状態の日本に
攻め入って残虐の限りを尽し、そのうえ千島・樺太北方領土も無慈悲に奪い取った。
他の連合軍も見て見ぬふり、戦争に負けるということは実に無情な事実の実証だった。
日本が受託したポツダム宣言条項には、日本国軍隊が完全武装解除されたあとには
「各自ノ家庭ニ復帰シ平和的カツ生産的ノ生活ヲ営ムノ機会ヲ得シメラルベシ」とある。
ソ連軍は軍人たちを日本に送還するどころか、少なからぬ将兵を理由も無く銃殺した。
数々の尋常でないソ連(ロシア)の蛮行は許し難きものだが戦後何故か学校も家庭も
現代史、なかんずく戦争を語らないのはどうしてだろう。今の日露関係は北方領土
資源輸入が主な交渉だが、僅か70年前の悲惨な事実を、忘れられない現代史として
きちんと検証するべきだ。そのうえで未来を仲良く付き合うのが日本人、ロシア人の
人間としての最低条件でないか。