隠居の独り言(1522)

八月になれば思い出す。敗戦間もない昭和20年9月に、昭和天皇は栃木県日光に
疎開されていた皇太子(現在の陛下)に手紙を出された。「手紙をありがとう。(中略)
今度の戦争敗因について一言いわしてくれ。我が国人が、あまりに皇国を信じすぎて
英米を侮ったからである。我が軍人は精神に重きをおきすぎ科学を忘れたことである。
進むを知り、退くことを知らなかったからです(中略)心体を大切に勉強なさい。父より」
昭和天皇のご心痛は、一般国民と共有するものであったし皇室の方も粗食に耐えた。
戦争の勝敗を分けたのは結局、持てる国と持たざる国の懐具合、国民生活レベルが
悲劇的なほど違っていたからで前線の将兵も銃後の国民も栄養失調の大群であった。
戦後日本にやってきたアメリカ兵の贅沢ぶりを目の当たりにして心底思い知らされた。
人間の本能の一番は食欲だが、アメリカから食料品が送られ目からウロコが落ちた
日本人は手もなく簡単にアメリカンデモクラシィーに染まってしまった。今でも
GHQが策略した憲法や、日本悪者論から抜け出せないでいるが、食べ物の恨みは恐ろしい。
日本が未だに世界の一員として誇りを持って立ち上がれないのは負け戦の後遺症が
残っているからだ。自分も昭和一桁の戦争体験者の一人だが今、戦争体験というと
悲惨なことばかりを語る人が多いけれど、本当は何故そんな悲劇になってしまったか、
体験は充分にしたから、むしろその原因を知りたい。答えは簡単、天皇の手紙の通り
米英を侮って世界の仲間に入らなかったからだ。ナチスドイツと手を組んだ愚かさは
今更悔やんでも遅すぎるが、軍部だけでなくマスコミも一緒になって米英を侮っていた。
明治から日英同盟が結ばれていたのに1923年に破棄し日本は国連からも脱退した。
何も知らされない庶民はずるずると戦争に嵌っていった。反省というより馬鹿げている。
だから今更戦争の悲惨さなんてTVの映像など見たくないし、新聞報道も聞きたくない。
歴史は繰り返される。人の心に欲望がある限り戦争がこの世から無くなることはない。
戦争の反省を未来に生かすことの重要は言うまでもない。民主国家米英の仲間から
外れてはいけない。集団的自衛権は当然すぎるほどの未来の道だ。