隠居の独り言(1568)

稀勢の里横綱に推薦された。まずは目出度い。長く待ち焦がれた日本人の横綱
誕生に高まる相撲人気がより一層定着するだろう。相撲は日本の伝統で子供の頃は
どの小学校にも校庭の片隅に土俵があり、男の子は相撲を楽しんだ。自分の自慢は
同級生の中で相撲が強く、左四つの上手投げが好きだった。あの頃は双葉山時代で
戦争がなければもっと強い双葉山があったろう。稀勢の里の持ち味は双葉山のように
真っ向勝負が信条で、誠実な土俵態度と取り口の潔さは他の力士も見習うべきと思う。
相手の顔を張ったり、ダメ押しまでする力士による昨今の取り口は相撲道に欠ける。
横綱といわれた双葉山栃錦、初代若乃花千代の富士など堂々と相撲に徹した。
相撲の始まりは戦国時代という。とくに織田信長が相撲を好んだのは有名な話だが、
江戸時代になっても歌舞伎、遊郭と並んで三大娯楽で大いに栄えたが、残念ながら
女人禁制で女性が相撲を見るのは明治になってからという。江戸時代の相撲興行は
入場料の木戸銭を神社仏閣の修繕費を名目にした勧進で神事としての行事であった。
それら伝統と美学を忘れては相撲道が泣く。相撲は単に勝てばいいというものでない。
心技体が揃うのが力士の条件であり、そこのところはモンゴル勢の及ぶところでない。
その強さも優しさも稀勢の里の日本人の古風な心を持つ力士として強く歓迎したい。
稀勢の里は中卒で月給の無い序の口から僅かな小遣いも実家に送金したというが、
自分の若い時の環境と重なる部分も多く横綱昇進は自分事のように感無量の思いだ。
今更ながら大相撲は日本の国技で、やはり最高位たる横綱は日本人であって欲しい。
千秋楽の取組後、初めて座った優勝力士だけの指定席で彼はどんな思いだったろう。