隠居の独り言(1572)

自分の昔からの親しき旧友(85)は、言っちゃ悪いけど、とうに賞味期限が過ぎている。
ネットのバスに乗り遅れて、連絡しようにも電話か葉書など手間が掛かって仕方ない。
彼は外語大を出て某外国大使館に長年勤めたけれど定年後はすっかり元気をなくし
先だって電話で話しをしても、病気のことから終活の話題など、言葉そのものが暗い。
以前の彼は流暢な英語、仏語で一世を風靡したものだが歳を取るとはこういうものか。
彼と自分の接点の昔通ったYMCA歌の仲間交流会も3人にまで減って昨年解散した。
旧友とは食べ物でないが賞味期限というものがある。集まって話をしても、病気のこと、
嫁のケナシ、孫の自慢、果ては墓の話まで・・旧友は懐かしきもので会って、失望する。
時の流れと言うのは残酷で、昨今の文明の急速な発展に落ちこぼれたら若い人から
疎遠にされ、邪魔者扱いにされ、軽蔑のまなざしで見られる。生産性のない年寄りは
年金、医療で国の資金を食いつぶし、国債赤字の大半は年寄りの生活費に充当され
今の老人は肩身の狭い思いがする。そのうえ平均寿命が延びるのはいいことなのか。
勝手ながら自分も10年前辺りから、古き友人から新しき友へと入れ替え作業を始めた。
その点、フェイスブックの新しい友達はいい。顔見知りでなくても定期的に情報交換し
談論風発、天下国家をあげつらい、仕事の情報から、自分のライフワークを語り合い、
中には自らのアートを披露して楽しませてくれる。フェイスブック会員は溌剌としている。
ブログ、ツイッターフェイスブック、ユーチューブなどネットワークの世界は数知れず・
この情報が瞬時に世界を駆け巡る。時代が変わったものとつくづく感じる思いがする。
自分が若い頃、誰が想像したことだろうか。そして未来の情報時代は想像もできない。