隠居の独り言(1573)

自分も含め戦前生まれの人の大部分は質素倹約が美徳と思っている。戦争を挟んで
飢餓の生活を経験すれば、物の有難さが身に沁みついてしまっている。つまりケチで
欲しいものがあっても我慢する。買い物をしても高いものは避けて安価なものを選ぶ。
昨今は風呂上りに湯上りタオルを使う人が多いが自分は手拭い絞れば充分と考える。
体を拭くだけで湯上りタオルは贅沢だろう。身体を洗うにも、リンスやシャンプー等より
固形石鹸しか使わない。昔は軽石で体をこすったのに比べれば今は何と贅沢だろう。
掃除だって、そもそも現代の人は雑巾を使うことが少なくタオルの絞り方を知らない。
部屋の掃除も箒で掃けば充分なのに電気掃除機を使う。自分はかつてハタキと箒と
雑巾を使った昔の習慣が残って今でも家の掃除方は変わらない。飢餓時代を除いて
食事だって米の字は八十八。お百姓さんからお母さんの調理まで88回の手間があり
感謝の意味で、飯一粒残さず食べるのが当然の習慣と感謝の気持ちも含まれていた。
まして日本は食料自給率30%以下なのに、輸入食品の廃棄が40%とは呆れ果てる。
しかしあまりケチなのも経済によくない。年金生活をしている人の中に慎ましく生きて
人生を終えるのも一つの方法かも知れないがあまりに惨めな考えは人生つまらない。
消費は美徳だと意識するようになったのは歳を取ってからで老人はお金を使うことが
社会貢献の一つだろう。消費をすることが内需を高め経済の活性化に資するものと
思うようになった。贅沢することが世のため人のため、そして自分のためと知ったのも、
商売の経済の経験から学んだからと思う。自分は子や孫に食べさせてもらう気はない。
誰に迷惑掛けることなく終われば本懐だ。