小僧一人旅 その一

青春時代は過ぎて顧みるものだが、若さっていいなぁとつくづく思う。夢があり希望がありバイタリティーがあって、何より人生の未来の時間がたっぷりあるのが素晴らしい。「小僧日誌」の続編を書く。「降る雪や明治は遠くなりにけり」は中村草田男の句だが、昭和も遠くなりにけりで、その昭和の大半を生きた小僧が、平成の今に思うと、先の大戦も戦後の混乱期もはるか遠くに過ぎ去って、昭和を知らない世代がこれからの日本を継いでいくのは嬉しくもあり、淋しくもありの感無量の思いがする。戦後間もなく、焼け野原も未だ残る東京の下町は江戸の文化も多少は伝承されていた気がするが、その頃「丁稚小僧」という徒弟制度を経験した自分にとって辛い中にも新鮮な嬉しさ喜びがあった代え難い時間だった。昭和30年代にもなると世の中は戦後の復興も順調に歩み、落ち着きを取り戻し、朝鮮戦争特需は終わったが、経済は高度成長に入り好景気が人々の気持ちを明るくしていた。そんな最中、小僧は会社を辞め、長年の夢の旗揚げをしたが、何もかもヒヨコのヨチヨチ歩きの巣立ちだった。会社を去る時、もうこの部屋に戻ることはないと少し感傷ぎみだったけれど、明日と言う日が人生の節目と思うと胸が熱くなった。外は西高東低の冬のような風の冷たい寒い朝だった。僅かばかりの衣類や日用品をまとめて出立の準備と同僚たちへの挨拶を終え、荷物を自転車の後ろに積んで会社をあとにした。同僚の一人が拍手をしてくれたが、振り返って顔を見られるのも恥ずかしく、前に向って一目散に自転車のペダルを踏んだ。新しく借りた所は、台東区南部の「帽子屋の巣」とも称された同業者が多くいる場所、台東区鳥越一丁目の路地裏の、二階建て長屋の一階部分、間口二間奥行き二間半(別にトイレ台所共用)の倉庫だった一室が小僧一人旅の出発点だった。