小僧一人旅 その二

借りた場所の近くに鳥越神社があり、独立した11/15日は「七五三」で神社は着飾った稚児と両親の晴れ姿に溢れ、華やかな祝い雰囲気は街を明るくしていた。偶然だが良き日に独り立ちしたものと我ながら感慨深く稚児たちを祝った。鳥越一丁目辺りは、関東大震災東京大空襲の火災からも免れた稀有な地帯で、住民はその幸運を喜んだが、その分、戦後復興の街並みから遅れたのは否めない。今でも古い木造の長屋や路地裏が多く、昔ながらの独特な雰囲気を醸し出している。レトロといえば聞こえがいいが自動車も入れない路地裏は戦前、いやもっと前から住んでいる、いわゆる江戸っ子が多く、人情味の厚さは類を見ない。横溝正史人形佐七捕物帳の「鳥越の親分」が出てきそうな昔ながらの風情が残っている。小さな家が密集して近所同士のお付き合いは人情があって居心地はいいが、プライバシーとなると疑問符が付く・・独立に要するお金は預金、退職金、合わせて計12万円也、借りた長屋の権利金、敷金は免除してもらったが家賃5千円、中古のバイク3万円、裁断機、仕上げ機が中古で3万円。残りの6万円が実質の資本金といえる。電話は最初の一年間は大家さんに貸していただき、水道、ガス、電気は別途支払い。独立の気構えは立派でも、まずは生活の基本は衣食住で、衣はとりあえず着たきりスズメ・・下着だけは毎日手洗いした。食事は朝、鍋でコメを二合炊きオカズは鳥越おかず横丁で、夜遅く売れ残りを半値で買って食べたが(オカズを作る場所が無かった)中には顔見知りの旦那が「持っていきな」と、人情が嬉しかった。お金の無い日は抜いた日もあり、空腹は問答無用に辛かったけど、これも想定内・・夜は仕事の裁断場の上で断ち残りの生地を被って寝た。独り者の気安さ、貧乏慣れがここで発揮した。集金したお金は生地や付属の仕入れ、縫製の職人さんへの工賃に充てるので自分の生活費は後回し・・最初は自分が作ったキャップを問屋さんに買ってもらった。注文が多いと職人仲間にお願いする。真っ赤な火の車が走り出した。