小僧一人旅 その十六

「やさしい人」や「思いやりがある人」とかを相手に求める。でもこれは欲しがるものでない。人に与えるものであって自分が得ようとするものでないと思う。やさしいという字は、にんべんに憂いと書く。つまり人を憂うのが優しさであって優しさは常に人に与えて余った分だけ自分が貰えばいい。昔の男一匹はそういった気分を秘めていた。男は働いて女子供を食べさせるのが男の生甲斐であり甲斐性だった。結婚は生涯の約束、その時の情熱だけでは破綻が来る。やがて子が出来、孫ができる。今では長寿の時代なので百年の計が必要で、停滞することなくいつも前進したい。それが愛であり、何があっても人情があれば乗り切れる。今の男女雇用均等法が出来て以来、女も男同様働いて共稼ぎが普通になり、優しさの定義も変わったと思うのは「自立的な人」「他人に依りかからない人」を云うのであり本当の意味の「大人」だろう。愛は決して楽しいものでなくむしろ哀しさ、つらさを伴うものであることを承知している。「優しそうに見える人は通常弱さしか持っていない人」と箴言の大家、ラ・ロシュコーフが言ったがまさしくそう思う。結婚相手を見る時、やさしさのオブラートに気を付けたい。