隠居の独り言 80

瀬戸内寂聴の「現代語訳・源氏物語」を読んで主人公の光源氏が恋した年上の女性の多さに、平安時代の昔は現代と違って女性上位の時代だったのかと思ってしまう。最初の恋の藤壺は5歳年上、正妻の葵も4歳年上だがそれに飽き足らず愛人の六条御息所は7歳も年上なのに驚いてしまう。光源氏の年上好みは要はマザコンなのか?平安から平成の世に時代が変わっても、スポーツ選手の奥方は年上の人が多いし、某新聞の記事によると最近に婚活で結ばれる夫婦は女性が年上の場合が増えている。それが記事になるということは今まで女が年下の夫婦が圧倒的に多くそれが自然であると考えられていたからで、その理由は家族の家長は男であり経済的も精神的にも家長が妻子を養うのが当然の風潮があったからだろう。長い間続いてきた封建時代の思想は、女性はあくまで男性の所有物であり、妻は夫に仕え全て従い生活する。優しく接するのが役割であり美徳とされた時代であった。今では時代が大きく変わって、変わるというより本来の男女それぞれの自然な姿に戻っているのではないか。男は瞬発的な力を発揮は出来ても持続力には欠ける。偉大な母は女の特権であり男は心身とも真似できない。男女の平均寿命の差は7歳で、それにくわえて現代の夫婦の大半が夫の方が6-7歳年上である現実的には老いた妻が10数年の未亡人生活をしていることになる。思うのは中高年の妻は先の短い夫をより大切にすること夫婦が元気なうちに旅行なり趣味を二人で行動すること夫婦は歳を取りマンネリの生活に慣れてはいないか?二人で老後を楽しむことを知らないのは人生の大損で、そして意外にお金を使わず老後の心配ばかりしている。折角の人生。老後と言わずに早速にも色々と楽しもう。年寄りの明日は分からない。悔いなき人生を楽しみたい。