隠居の独り言 79

今更ながら先の戦争で日本が無条件降伏した日は1945・8・15。ところで占守(しゅむしゅ)島を知っている日本人は非常に少ない。千島列島の最北端の島で終戦時に島には日本の守備隊がいた。戦車部隊・約23000人の日本軍が無傷のまま島を守っていたが、終戦後に国際法を無視したソ連軍が島に攻撃を開始したのは降伏後8月18日の未明で、まさか攻めてくるとは思いもよらず武装解除の準備をした将兵は再び武器を取って戦闘に臨んだが、激しい戦闘は4日間に及び両軍合わせ2500人の死傷者が出た。終戦後に起きた島を作家・浅田次郎は「終わらざる夏」を執筆した。占守島将兵はシベリアへ連行され、長い抑留生活を強いられた。スターリンが日本軍捕虜50万人をシベリアで強制労働させるという極秘指令を出したのは日本が降伏してから後の事で国際法からも絶対許されない!満州は云うまでもなく、日本固有の千島列島や南樺太を、きちんと掘り起こさなければ埋もれてしまう歴史といえる。よく指摘されることだが、学校も家庭も歴史を語り継ぐ機会が少ない。特に現代史の部分でソ連による一方的な日ソ不可侵条約の破棄と、その後の対日軍事行動は日本が無条件降伏したにも拘らず続いた無慈悲な暴虐、民間人への殺人、強盗、強姦・・日本軍兵士抑留は厳然たる史実だが、反面に一世紀前の日露戦争はどうだったか?乃木大将は水師営で敗軍の将ステッセルに武人として帯剣を許し戦った203高地には日露両軍の戦死者のために慰霊碑を建てた。東郷元帥は福岡に「日本海海戦勝利記念碑」を建てる話あった時、「祖国のため戦死したロシア兵を思うと勝利の文字は使えない」と記念碑の二字を削除させた。日本はロシア軍の捕虜7万人余を日本の温暖の地に移送し手厚い医療や福祉を施し戦後に全員をロシアに送還した。寮での献身的な看護婦に恋心を抱くロシア兵が後を絶たなかったという。惻隠という言葉がある。すなわち敗者への思い遣りが武士道の仁であり、慈悲に通じる日本人の精華といえる。勝敗は時の運であり。終われば兵士は互いの健闘を讃えるべきで戦争にも美学があって然るべきだろう!日本人の考えを今更に思う。ロシアは日露戦争敗戦の復讐のつもりだろうが、その犯した蛮行は人間の行いではない!ロシア人よ!恥を知れ!!