隠居の独り言 94

彼岸に日本人の宗教観とキリスト教など一神教との違いを歴史に思う。約9世紀前のアルプス山脈北の欧州大陸は奥深い森に覆われていた。当時から住んでいたケルト族やゲルマン族は深い森には精霊がいると信じ樫、樅、楡などの巨木を神の宿なる樹として敬い信仰の対象としていたという。その北ヨーロッパにアルプスを越えキリスト教がやってきた。神聖ローマ帝国が推し進めるヨーロッパでのキリスト教化は抵抗する原住民は追われ、深い森林は次々とキリスト教の信者によって切り倒されていった。ゲルマンの神聖な場所の森林は神に背く悪魔の住む場所として徹底的に伐採された。森が無くなった後の景色はキリスト教信者にとり最も快適な牧草地の景色になった。童話のハリー・ポッターの物語でも森は不気味な場所として登場している。伐採後の草原では羊や牛を飼い広大な土地に麦や芋が植えられ人口が増えた。ヨーロッパのみならずキリスト教奉ずる白人は15世紀頃に世界を制覇して各地の大自然の森は徹底的に伐採された。南北アメリカ大陸、アフリカ大陸、オーストラリア大陸、等々、伐採だけでなく原住民を根絶やしにし、生息する動植物の生態系を失っていった。つまりキリスト教文明の一般的な西欧人の考えは自然そのままが悪であって、キリスト教の手によって征服され改めて神に祝福されて善きものになる。それは営々と築いてきた地球の大自然を神という名の下で破壊したのは一神教信者であり、現代に至るCO2排出や原子力に関することもルーツを辿ればそれらに繋がってくる。絶対的な力を持つ創造者ただ一人を信じ、従わない者には徹底した弾圧も辞さない厳しい性格の宗教で、元を質せば同じ神のはずなのに時として激しく対立して戦争まで起こす。そこへくると日本人の持つ宗教観の何とおおらかなことよ!日本古来の神道は自然の美しい山や滝、何千年の命の巨木、強い再生力の動物、立派な人を神と崇め神社には森があり、森には神聖な御霊があると信じられた。6世紀頃に到来した仏教も生活に日本人の考えを反映させて植物も動物も人もあるがままに成仏するとされた。あらゆる生命体は互いに関連しあって循環しあっている。それが信仰心の基本と思う。現代のキリスト教大自然に寛容だが、史実の一つとして覚えておかなければならない。宗教は神の創意創造でなく人間の造りなせる業であることを彼岸に感じる。