隠居の独り言 95

歴史を振り返る。78年前9/27日、重大な歴史の一瞬があった。その日、ベルリンで調印された日独伊三国同盟はどう考えても無責任で軽率すぎた。国内で、どれほど議論が尽くされたのか、陸軍と海軍の軋轢があったらしいが一般には知らされていない。国会での論戦があったわけでもない。世論に訴えた事実もない。日本の運命を決定づける調印にしては、あまりにも思慮が無い。同盟締結に奏上を受けた昭和天皇は日米関係危惧を憂慮され「今しばらく独ソの関係を見極め、締結しても遅くはないのか」と近衛首相に質したが「ドイツを信頼しています」と奉答したという。何と粗末なことよ!この日から日独伊側と米英ソ等の連合国の対立は抜き差しならぬものとなり日本は破滅の道をまっしぐらに進む羽目になっていった。でも日独伊だけが悪いわけではない。1919年、第一次世界大戦後のパリ講和条約で日本が提出した「人種差別撤廃案」は17か国中14国が賛成したのに議長国のアメリカが強引に葬ってしまった。欧米白人支配の植民地主義に都合が悪かったのだろう。ついで日本には虎の子の日英同盟を解消させたのもアメリカであり「排日移民法」や日本には不利な陸海軍縮案も嫌がらせだった。出る杭は打たれる譬えのように有色人の日本が日露戦争でロシア勝ち破竹の勢いだったのが欧米の癇に障ってしまう。アメリカに敵対行動もしなかったのに日本への石油と鉄の全面禁輸、在米日本人資産凍結までした。解除を求めた日本に、海外から全面撤退など屈辱的な条件を突きつけて日本からの戦争を仕掛けるよう仕向けたアメリカの戦略に見事に嵌められ勝利の可能性はゼロ%と承知しながら真珠湾攻撃の火蓋を切らされた。しかもルーズベルト大統領は暗号で真珠湾攻撃を事前に知りながらアメリカ国民に知らせず「卑怯者・日本」のレッテルを貼り「リメンバーパールハーバー」「真珠湾を忘れるな」とアメリカ国民に戦争鼓舞する言葉とした。日米のどちらが悪いのか?古今東西、歴史は勝者に作られる。敗れた日本はすっかり悪者に洗脳されて、アメリカ製の憲法金科玉条に崇める。戦後マインドコントロールから解放されたい。