隠居の独り言 96

テレビビデオで木村拓哉、壇れい主演「武士の一分」を見た。物語は置いて武士道のありかたが今ほど問われている時はないと思う。日本人特有の美的な感受性や情緒味が崩れた。現代だからこそ、これからの社会を長年に培ってきた先人の美徳を見習いたい。武士道の基本精神は「名誉と恥」でありイジメやパワハラなど強者が弱者を苛めるのは恥とされて、その心を卑しめられた。上は下を慈しみ、下は上を敬うのがその精神で君臣、親子、夫婦、長幼、盟友の「五倫の道」を外れれば武士道に反し厳しく罰せられる。その心の素養は幼児から育てないと無理で大人になれば理屈が先走って仁徳は身に付かない。卑怯を憎むのは武士道そのもので、弱いものが苛められるのを見て、見ぬふりするのも卑怯で助ける方法を考えなくてはならない。弱者いじめ、幼児虐待、夫婦間暴力などは、その最たるもので最近の世相の悪化は日本独特の武士道を忘れた今の大人たちの責任でもある。昔は人を理屈抜きで信用できた。家には鍵など掛けないし、子供たちも、親が付き添っていなくても自由に外で遊べた。遊びも原っぱでガキ大将を中心に日暮れまで遊び呆けた。ガキ大将も、子供なりの義侠心があって弱いものを庇い、イジメなど決して無かった。武士道精神は日本人のDNAに定着して互いに譲り合い助けあい、無言の和を保っていた。その武士達は権力や教養があっても財力は求めなかった。そこがヨーロッパ貴族との違いで富豪は卑しいものとする土壌があり道徳はそこから生まれた。現実に城や屋敷は殿様や家臣の個人財産でなく幕府から預けられたもので武士は財産を欲するより、正義を重んじるのが武士道の精神であり、理不尽なことには自らの命も惜しまなかった。顧みれば、先の大戦の原因も武士道精神の欠落であり、モノを欲しがり、当時の「清中国」を苛めることから始まり、最後は世界中を敵に回して、奈落の底に落ちていった。昨今の祖国を貶める汚いマスメディア、拝金主義の横行、自己中心、広がる格差社会の弊害の起因も、そこにある。かつて世界一の治安を誇ったのも日本の武士道が基で、それをみんなが忘れている。