隠居の独り言 114

ボクは小さな帽子屋を営んでいるが昭和23年上京した頃、食べ物も住む家もロクに無くボロボロの衣服を着ていても、殆どの人は帽子を被り、男の子の頭には学生帽があった。明治大正の昔は上場一部に東京帽子、帝帽、富士帽など帽子企業社が名を連ねていた。古い写真を見ても街を歩く男性の殆どが帽子を被り、喩え着物姿でも下駄を履いて鳥打帽やカンカン帽を被り、洋服姿に中折れが似合った。学生、軍人、警官、消防士、郵便配達も全て帽子があった。街に帽子が溢れ男性の数と同数の頭のお洒落は職人の丹精込めた匠の製品だった。栄枯盛衰という言葉がある。職人は老齢化が進み昔の繁栄は戻ることはないだろう。習慣というのは確固たるもので、どんなに苦しく貧しくても頭に何かないと落ち着かなかったのだろう。それが帽子で当然に帽子は売れて学生帽は入学時期になると一年間を掛けて作った製品も殆どが売れて後半になると底をついた。それだけ日本の社会は服装に対する特別な観念があって「衣食足りて礼節」の習慣が根付いて昔からの「烏帽子」の身なりの考えが伝わって帽子という製品に繋がったと思う。それは一人一人の日本人としての自尊心の表れだと思うが、その観念は戦後占領軍の影響と外国人の格好良さを見て、すっかりアメリカナイズに洗脳され殆ど影を薄めてしまった。自由とか民主主義とかの思想が氾濫して服装規定やらの、そのマナーが否定されて学生の制服も無くなって、自然に帽子自体が売れなくなったのも時代の変遷と言えるだろう。当然に帽子屋の景気も下降線をたどり戦後、上場一部に数社あった帽子会社も順に消えて現在では影も形もない。丁稚小僧もいつか出世して、故郷に錦を飾りたかったが景気の波風には抗しがたく、あれほど売れた帽子産業もメーカー小売商を問わず没落していったのは実に悲しい。とくに縫製する職人が病気や老化のため激減しているが、後継ぎ無く、ここ数年以内にメーカーとしては成り立たず絶滅する必至な状態に差し迫って、わが社も例外でなく幕引きの時間は余り残されていない。人生は夢幻の如く