隠居の独り言 119

歳を重ねる毎に体を動かすことも何かを考えることも面倒だ。これを老化という。何にもしないで一日中ゴロゴロしていれば極楽だなぁ、欲しいものも特別ないし、人付き合いも面倒だし、オッカーとも話題はないし、おーいメシ、フロの二言で充分だ。(いっぺん言うてみたかった)それは老人特有の願望だろう。戦時中の昔を思っても小学校の授業は退屈そのものだった。4年生の頃から教科書もガリ版刷りで先生と生徒が一緒に刷ったが字も良く読めず、5年生後半から授業より、畑作りで世間に出て何の役も立たなかったし、生活の足しにもならず、頭の中に残っていない。そういえば不登校が当たり前だった。小僧の頃を、皆さまは大変だったね、とおっしゃって下さるが実は人生の中で一番充実していたボクの青春と述懐している。♪柳、やなぎで世を面白う、うけて暮らすが命の薬、梅に従い、桜になびく、その日その日の風次第、嘘もまことも義理も無し・江戸時代に謡われた端唄の歌詞の一節だが、とにかく人間は昔も今も怠け者に出来ている。そんな風来坊も遊ぶともなると寸暇を惜しまず全身全霊を酷使して夢中になるのが不思議だ。生まれつきの性格は飽きっぽくて半年も続いたためしがない。しかし中高年も過ぎて或る日、目覚めたのがギターを弾くこと、そして歌うこと、音楽がよほど自分の性に合ったのだろうか?前から分かっていればもっと早く始めたろうと後悔しきりだが、時間は戻らない。働き盛りのころは、音楽は日々のBGMで自ら歌って弾いて、弾き語りをするなんて考えもしなかった。単純に商売だけで時を過ごせば取り返しのつかない大損だ。それまで仕事最中は遊んでいる奴はいわゆる甲斐性無しで女子供を養う男の大義名分は信仰心のよう厚いものだった。でも人の夢や心情は齢と共に賽の目のように変わっていく。人生の時間も少なくなって凡才も若い頃やりたかったことを思いっきりやろう。何歳からでも、何をしても自分の人生だ。幾つになっても好奇心を持ちそしてそれを自分のものにして出来れば本懐だろう。凡才の趣味は今では生活に関係なく誰も期待しない「無用の贅」だから夢中になれるというもの・・高音も以前と殆ど変らないし人間の可能性は無限と思える。技術も出来なかったことが出来た時の喜びは何に替え難い。音楽は世のこと、厭なこと、みんな忘れて幸せそのものだ。人生の第4コーナーは音楽で極楽、極楽と過したい。