隠居の独り言 175

人間誰もが人様のことが気になるのは本能的なもので、例えば電車に乗ったとき、座っている前の人たちをしげしげと、といって見ないフリして見ているときが多い。ある日ある時の電車の中で向かいの若夫婦とおぼしき二人連れ。男の面相は鬼瓦のようで、黙りこくって口をへの字に結んでいる。男の姿格好からは職業は分からないが不機嫌そうなあの顔つきは世の中に何か不満でもあるのだろうか?そこへくると隣の奥さまは優しそうな美人だネ。鬼瓦には全然似合わないのだが、どこで知り合い、どこで二人は結ばれたのか、余計なお節介だが馴れ初めの想像力はどんどん進むのが常であって、鬼瓦はよほどの資産家だろうか?それともよほど女に優しいのか?でも見た限りは二つとも当たっていない。ともかくこんな美人を連れて仏頂面で黙る男の心が分からないし、彼に添っている女心も分からない。しかし楽しい話題を考えるとか、優しい顔で奥方に接しないと折角の良縁もダメになるぞ!鬼瓦!男はなぁ、強くて優しくて女に尊敬されるくらいにならなきゃだめ!昔の亭主関白時代は終わったのに自覚できない男が多すぎる。気がつけば熟年離婚という事態は、大抵が男の身勝手が多い。男と女の出会いは交通事故みたいで何処でどうしてぶつかるか神さまの思し召しで、関係の無いヒトサマの事で腹を立てるのも無粋の極みだが、この不釣合いな組み合わせも縁の不思議で面白いところで、これで世の森羅万象が成り立っているのだろう。人のフリみて我がフリ直せとは、よく言ったもので人は分かっても自分の事は分からない。ボクにも反省することは多々あり過ぎ、こんな事を書けるのもボク自身が歳を取ったものと感ずるのは若いころには相手の女性の心を汲み取る事は出来なかったし、浅はかで拙なかった青春時代を思い出しても恥ずかしく後悔の群落が蘇えるのはとても辛い。世の中の仕組み、男女の葛藤、自分の事がやっと分かりかけ年齢になって気がついた時には、既に遅いのは人生の常だが、未熟のままで終焉するまでは、これからの出会いも大切にしたいとつくづく思う。