百人一首

今のようにいろいろなゲームなど無かった時代は家の中の遊びは
かるたや花札百人一首など楽しみました。暗記力や暗礁などは
このように養われていったのかも知れません。百人一首の編纂を
したのは藤原定家(1162-1241)ですが作業したのは70才過ぎで
恋のうたの多いのは当時、承久の乱隠岐に流された後鳥羽上皇
へのラヴ・メッセージとも云われ、定家の晩年が偲ばれます。


あらざらむ この世のほかの思い出に いまひとたびのあふこともがな  和泉式部